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旭川市平和通買物公園のシンボル的存在として長年親しまれた玩具店「オモチャのたもちゃん」(旭川市3条通7丁目)が、3月で閉店することになりました。昨年末に店主の金子保さんが亡くなり、現在は妻の影子さん(90)が一人で店を守っています。「長く続けてこられたのはお客さんのおかげ。最後まで、しっかりがんばりたい」と話しています。
創業は昭和23年3月。保さんの両親が営む料亭の一角に、玩具を置いたのが始まりでした。師団通りと呼ばれていた当時、「兵隊さんが道すがら、食事をして、お土産におもちゃをよく買ってくれたと聞いています」。影子さんが嫁いできたのは昭和32年。そのころには、建物も建て替えて、玩具専門店として営業していました。
影子さんの実家も函館の老舗玩具店で、学生時代から店番など手伝いをしていました。問屋の紹介で縁談が持ち上がった時、近隣の玩具店から「旭川に来ないで」という封書が送られてきたこともありました。当時、駅前から平和通沿いには8軒も玩具店があったため「競合店がおもちゃの商売慣れした若い人がお嫁にくることを嫌がったんでしょうね」。
昔は、玩具以外にも三輪車やベビーカーなども扱っていました。当時は、フレームやサドル、車輪などの部品がバラバラで届くため、スタッフ総出で車両の組み立て作業にあたりました。「組み上がって、店頭に並べたそばから売れていくもんだから、ごはんを食べるひまもないくらい忙しかったよ」と振り返ります。
広さ17坪ほどの店内には、ゲームソフトやぬいぐるみ、プラモデル、カードゲームなどがぎっしりと積まれています。新商品の案内や、店での売れ行きを見て、先々の仕入れを判断するのは保さん。保さんは、メモをとる人ではありませんでしたが、どこにどの商品があるのか、在庫数まで完璧に把握していました。ルービックキューブ、ゲームウォッチ、ガンプラ、ファミコン、たまごっち、カードゲームなど、どの時代にどんな玩具が流行っていたか、高齢になってもしっかり記憶していました。
晩年は視力が落ち、足腰も弱くなって、店では座っていることが多かったですが、在宅ケアのない日は必ず店に出ていました。食欲も旺盛で「天金のうなぎ、二幸のカツ丼をいつもおいしそうに食べていた」。仏壇には大好きだった上生寿司やうなぎを供える日もあり、「全然亡くなった気がしないの」と語ります。
棚には新商品に混じって、昔の玩具が未開封のまま並んでいることもあります。噂を聞きつけた全国のレトロ玩具マニアが、掘り出し物を探しに来店することもありました。閉店のニュースをネットで知った全国のファンからは、惜しむ声が寄せられています。数年前、平和通商店街をテーマにした川柳を公募した時には、「たもちゃんは ただあるだけで 愛しくて」という句が寄せられたことも。それだけ、古里のまちの風景として人々の記憶に刻まれた存在となっています。
問屋が店に商品の現物を持ってきて商談した昔と違って、現在は注文から入荷まで3~4カ月かかります。昨年末、保さんと相談して決めた最後の品は、来月入ってくることになっています。「お父さんと最後に選んだおもちゃを店に並べて、区切りにしようかと。忙しい毎日だったけど、楽しかった。お客さんには感謝の気持ちでいっぱいです」と話しています。