まだそのスネかじらせて
父さんが亡くなり、僕が店を継いだのは24歳の時でした。居酒屋は子供が来る場所じゃないって、小さい頃はお店に入れてもらえなくて。でもさんろく祭りなどの特別な日は別で、お客さんが楽しそうに飲んでいる姿が僕の原風景。その空間を作っていたのが母さんなんですよね。堅物な父さんと違ってムードメーカー。昔から本当よく喋るし!
ごはんは家族みんなで食べるのが我が家のルールでした。「この料理はどんな食材と調味料を使ってるでしょう?」と毎回クイズを出されるんです。妹2人は適当にいなしてたけど、興味があった僕は真剣に向き合ってました(正解しないと食べられないのもあって…)。それは本当に役に立っていて、今は僕がスタッフに出題しています。面倒くさがられてるかもだけど。
店を継いだ頃はまだ若くて、理不尽なお客さんにムッとしてしまうことがありました。でも母さんからそういうのを感じたことはなく、「お客さんが楽しく過ごせないと、店をやっている意味がない」って。昔から直接なにかを言われることはないんですが、姿勢からたくさんのことを学んで、影響を受けまくっています。まだまだ同じようにはできないですが、見習っていきたいし、これからもたくさんスネをかじらせてほしいな(笑)。
キャラは違えど、仲良し母娘
私が高校生の頃に母が美容室を開店しました。嬉しくて、学校が休みの日はいつも早起きして母と一緒に出勤。小さなお手伝いにワクワクしました。仕事中の母は家にいるときより格段に輝いて見え、どのお客様にも常に気を遣って笑顔でテキパキと仕事をする姿は感動的。お客様がお帰りの際「ありがとう、またお願いしますね」と笑顔で言ってくださる言葉が多く、それはこちらのセリフなのに、と子供ながらに思っていました。
自分の技術で人が美しく変わり、笑顔とありがとうの言葉をいただけるこの仕事は素晴らしいと感じ、私も美容師を目指すことに決めました。私が美容師になって数年後、母は母校の旭川理容美容専門学校に勤務することに。プロを目指す学生たちとの新たな人生が始まりました。専門学校の2年間はこれからの人生を築く大切な時間であると、母のように、孫を思うお婆ちゃんのように寄り添い、技術を身に付けるため練習に励む学生さんたちの微笑ましい話を聞かせてくれました。
母からバトンを受け取って、今年で開店25年目。母の頃から親子3世代でご来店くださるお客様も多く、いつも温かく見守られています。
変わらないこと 目標に
昭和47年に祖父が創業し、2代目は生花部門を担当していた母。私が3代目を継いで10年になります。創業時から頼もしい社員が現場を守り、トップがうるさく口を出すことのない社風でした。母も皆を信頼して遠くから見守っていて、店全体が家族のような関係です。
若いころは一度も後継者として誘われたことがなく、ツアーコンダクターになろうと思っていました。でも母に「せっかくなら大学を受験しては?」と薦められて進学することに。経営学を専攻しましたが、この時点でも家業を継ぐことは考えていませんでした。就職活動でようやく意識するようになって、運良く大手スーパーチェーンの鮮魚部門で勉強させてもらえることになり、10年ほど修行して戻ってきました。
いまも母はたまに出勤しますが、口出しすることはありません。スタッフを見守る立場になった私も、母の方針を受け継いでいます。最近はインスタグラムで情報発信したり、POPで飾ったり、品目を増やしたりと様々な挑戦をしています。でも同時に、母が守ってきた昔ながらの接客と対面販売、昭和感あふれる空気も維持しています。新しい感覚を取り入れつつ、大切な部分は見失わないように、皆さんの期待に応えていきたいですね。
写真家人生 最初の一枚
6月の招魂祭ごろ、3歳だった私が、祖父に借りたカメラで初めて撮った一枚が母の写真です。この一枚から私の写真家人生は始まりました。
アルバムに貼ってあったその写真を数年後に見て、私が母に対して抱いていた「感謝」や「愛情」が伝わってきました。写真には、言語化できない感情を伝える力があることを知りました。
子供のころは、よくチラシの裏に絵を描いていました。チラシに収まらず、机の上にはみ出して描こうとすると、母は注意するのではなく、チラシを継ぎ足して自由に描かせてくれました。子供の想像力に制限をかけない優しい眼差しが、私の感性を育んでくれました。
20~40代は仕事に夢中で、母とゆっくり話をする機会はなく、コロナで仕事が一息つき、帰省することが増えて改めて母を見ると、歳をとったな…と感じました。もっと一緒にいるべきだったと反省しています。
いまは、私の写真を年代順にファイルする写真アーカイブ研究会の室長を務めてもらっています。写真の整理を通じて、過去の私の仕事をたどるのが楽しいみたいです。
先日この活動が認められ、旭川ななかまど文化賞を受賞し、一緒に授賞式に出席しました。母にこれまでの感謝を伝えられた気がしています。
母から継いだ全力応援!の精神
看護師だった母は、いつも一生懸命働いている人でした。40代半ばから訪問看護の仕事も始めたので、誰かの役に立つ仕事にやりがいと誇りを感じていたと思います。
一般企業の内定を断って、アナウンサーを目指すと報告した時は、「好きなことをやりなさい」と応援してくれました。中学生になって苦手だった社会の勉強をがんばる!と宣言した時も、夜勤に教科書を持って行って、ノートにびっしりと穴埋め問題を作って渡してくれました。私がコミュニケーションをとりながらの方が頭に入ると察して、クイズ形式で出題してくれたことも。楽しく学べて、いつの間にか社会が得意になっていました。
東京の大学に進学した1年目で、母は大病を患いました。学園祭でチアリーディングの本番を控えていたタイミング。「お母さんのことは心配しないで、いま大切なことに全力で向き合いなさい」と手紙が届きました。昔から弱音を吐かない人でしたが、とても心配でした。帰省して久しぶりに母に会うと、以前とは全然違う様子に驚きました。誰かを応援すると自分にも力が湧くのを感じますが、気持ちと身体の調子がアンバランスになることもあります。頑張り屋の母ですが、これからはマイペースで身体を大切にしてほしいです。
今も年2回は東京に来て身の回りの世話をしてくれます。仕事優先の私の性格を知っているので、実家から定期的に食料なども送ってくれます。会うとよくケンカしますが、それは「お母さんなら許してくれるだろう…」という私の甘え。いつも大きな愛で包んでくれるお母さん、ありがとう。