今号から始まるライナー40周年記念企画、「旭川ふしぎ発見!」。旭川の歴史をクイズ形式でおもしろく掘り下げます。監修は、元NHK旭川放送局長で旭川郷土史ライター&語り部の那須敦志さん。さあ、ミステリーハンター アツシ君初回はどんなクイズを出してくれるでしょう…?
Q1 ロータリー、昔の姿
さあ初回は肩慣らし。いつ通ってもちょっとドキドキしてしまう常盤ロータリー。たくさんの道路が交差していて、「魔のロータリー」なんて呼ばれることもありますよね。できたのは昭和11(1936)年。90年近い歴史があります。
ココで問題です
常盤ロータリーのある場所、交差点として整備される前には、実はある別のものがあったんです。それはいったい何でしょう?次の4つからお答えください。
Ⓐ交番
Ⓑタワー
Ⓒ橋
Ⓓ花壇
どうですか、お分かりになりましたか?
正解はⒸの橋。
「え、ということは…」と思われた方がいるかも?そう、いま常盤ロータリーのある場所は、昭和のはじめまで川だったんです!
その川は牛朱別川。かつては今よりももっとマチの中心部寄りを流れていました。そして大雨のときはたびたび氾濫して被害が出ていたんです。このため宗谷線の鉄橋のところから旭橋の下まで地面を掘って新しい流路を作り、いまの新町で石狩川と合流していた古い川は埋め立てました。昭和5(1930)年から昭和7(1932)年にかけて行われたこの工事は、牛朱別川切替工事と呼ばれています。
画像①は工事前の旭川です。左下が常磐公園、右は切替前の牛朱別川。画面中央の「常盤橋」の位置が、今のロータリーです。
画像②は埋め立て後の橋があった場所。ここには6本もの道路が集中していた上、画像のように市街電車まで走っていました。このため通常の交差点にはできず、浮上したのがロータリー式の交差点にする案。当時、国からは旭川のような地方都市には不要だと言われましたが、市は将来の交通増を考え不可欠だと主張しました。
こうしてできた東京以北初のロータリー。画像③の右に写っているのは、昭和25(1950)年に常磐公園で開かれた北海道開発大博覧会の際に建てられたシンボルタワー、大平和塔です。その下を市街電車が走る姿は当時の旭川名物でした。
マチの発展のかげに…
牛朱別川の切替は、川を埋め立てて道路や宅地にしたことで、中心部の範囲が広がるメリットもありました。しかし当時はすべて人力の工事。たいへんな苦労と努力がありました。
Q2 旭山にスポーツ施設!?
では次のクイズです。旭山にあるものと言えば、もちろん動物園ですよね。毎年、大勢の人が訪れる旭川きっての観光スポットです。
動物園ができるはるか前の昭和のはじめ、旭山のふもとにはある人気のスポーツが楽しめる場所がありました。どんなところだったのでしょう?左の4つの中からお答えください。
Ⓐ野球場
Ⓑ草競馬場
Ⓒカーレース場
Ⓓゴルフ場
こたえは次回。お楽しみに!