ライナー40周年記念企画、「旭川ふしぎ発見!」。旭川の歴史をクイズ形式でおもしろく掘り下げます。監修は、元NHK旭川放送局長で旭川郷土史ライター&語り部の那須敦志さん。さあ、ミステリーハンター アツシ君、今回はどんなクイズを出してくれるでしょう…?
Q1 明治に活躍!著名人の肉親
今回も始まりました「旭川ふしぎ発見!」。私たちが暮らす旭川の昔の面白エピソード。さっそく前回の最後に出したクイズの答えからいきましょう。明治時代の人物についての問題でしたよね。
前回のクイズのおさらいです
明治時代の一時期、ある著名人の肉親が旭川で活動していました。次の4人のうちの2人です。誰と誰でしょう?
Ⓐ坂本竜馬のおい、直寛(なおひろ)
Ⓑ宮沢賢治の妹、トシ
Ⓒ野口英世の母、シカ
Ⓓ石川啄木の妹、光子
正解はⒶ「坂本竜馬のおい、直寛」と、Ⓓ「石川啄木の妹、光子」。
このうち直寛は、坂本家の5代目当主で、クリスチャンでした。
北見の開拓に当たった移民団体、北光社の中心メンバーとして北海道に渡ったあとは、布教に専念。伝道師として旭川にやってきたのは、明治35年のことです。当時旭川では、米国人宣教師のピアソン夫妻が遊郭で働く女性を救う活動をしていて、直寛も協力しています。
その後、牧師となった直寛が知り合ったのが、若きクリスチャンの鉄道員、長野政雄です。出会いの3年後、長野は客車の暴走を食い止めようとして塩狩峠で殉職。のちに三浦綾子の小説で広く知られるエピソードです。
一方、光子もクリスチャンでした。移住した北海道の教会で受洗したのは明治40年。2年後、イギリス人女性宣教師が旭川の教会に赴任するのに同行します。2人が旭川に来た翌月、「アイヌ神謡集」で知られる知里幸恵の叔母で、伝道師の金成(かんなり)マツが、近文にあった同じ協会の施設に赴任しています。アイヌの人たちへの布教には、光子も関わった可能性があります。
この頃、兄の啄木は、函館、小樽、釧路と移り歩いた北海道放浪を終え、東京にいました。当時の日記には、こう書かれています。
「ミツコから、アサヒカワに行ったというハガキがきた。妹は外国人のいそうろうだ!兄は花ざかりの都にいてそでぐちのきれた綿入れを着ている。妹はホッカイドウのまんなかに六尺の雪にうずもれて賛美歌を歌っている!」。
当時、名古屋にあった婦人伝道師の学校に入学するため、1年余りで旭川を去った光子。その後も生涯に渡り、信仰と布教の道を歩みました。
啄木はこんな歌も…
光子は兄と2歳違い。無神論者だった啄木は、こんな思い出を歌にしています。
クリストを人なりといへば
妹の眼がかなしくも われをあはれむ
Q2 有名作家が食べた美味しいもの
では次回のクイズです。昭和2年、講演のため北海道を巡っていた芥川龍之介と作家仲間の里見弴(さとみ・とん)が、4条通8丁目にあった旭川初のホテル、北海ホテルで食事をしました。
そのとき、ある料理を食べた里見が「◯◯とはうまいものだなあ」としみじみとつぶやきました。次の4つのうちどれでしょう?
Ⓐオムレツ
Ⓑラーメン
Ⓒポークチャップ
Ⓓジンギスカン
こたえは次回。お楽しみに!