ライナー40周年記念企画、「旭川ふしぎ発見!」。旭川の歴史をクイズ形式でおもしろく掘り下げます。監修は、元NHK旭川放送局長で旭川郷土史ライター&語り部の那須敦志さん。さあ、ミステリーハンター アツシ君、今回はどんなクイズを出してくれるでしょう…?
Q1.戦前、旭川に多かったお店は?
今回も始まりました「旭川ふしぎ発見!」。私たちが暮らす旭川の、ちょっと昔の面白エピソード。まずは前回出題されたクイズに答えましょう。旭川に多かったお店がテーマでしたね。
前回のクイズのおさらいです
商業の街としても栄えた旭川。戦前、ほかのマチに比べて目立って数が多い店がありました。
それは何の店でしょう?次の中から一つお答えください。
Ⓐ写真館
Ⓑ薬屋さん
Ⓒお米屋さん
Ⓓはんこ屋さん
正解はⒶの写真館。これには旭川が陸軍第七(しち)師団の本拠地であったことが大きく関係しています。軍隊には多くの成年男子が所属していました。ただ、いわゆる職業軍人を除けば、戦時以外に軍服を着て兵舎で過ごすのは限られた現役期間などの間だけ。ですから初めて兵隊として旭川にやってきた人は、ほぼ必ず写真館で軍服姿の写真を撮ったんです。そしていったん戦争になれば、命の保障はないのも軍隊。このため一般的にも軍人はよく写真を撮っていました。
昭和2年発行の「旭川商工人名録」によると、市内には谷内写真館、中原写真館、春日井写真館など18店がありました(画像①②)。このうち谷内写真館は、明治37年創業で今も営業中という全国屈指の老舗です。明治41年の北海タイムスには、「当地には目下写真屋が8戸あり、いずれも主に軍人当て込みの商売なるが、年末年始にかけ新兵の撮影者引きも切らずいずれも大繁盛せり」とあります。
実は4択のうち、他のお店も数は多かったのですが、旭川だけに限ったわけではありません。
このうち興味深いのは薬屋です。かつて中心部に多くあった薬屋の場所を思い浮かべてみてください。みな、通りの角にありました。辻、眞鍋、青木、黒川、深井、井村、深澤…。みんな角です(画像③)。医者が少なかった開拓期、人々の頼みの綱だった薬屋は、他の店に先駆けてマチに進出しました。このため商売に最適な角地を得ることができたんですね。
郷土史家・故渡辺義雄さんは…
著書の中で「旭川は街の角々に薬屋あり」という言葉を残しています。
こんなところにもマチの歴史の痕跡が見つかるのが面白いですね。
Q2.ジャンボブック落書きは誰が?
では次回のクイズです。リニューアル前の平和通買物公園には、大きな本の形をした「ジャンボブックの落書き板」がありました。
チョークなどで自由に落書きできる遊具の一種です。実はオープン間もない頃、ある有名な芸術家が子供のようにここに絵を描いたことがありました。それは誰でしょう?
Ⓐ岡本太郎
Ⓑイサム・ノグチ
Ⓒ横尾忠則
Ⓓ棟方志功
答えは次回。お楽しみに!