ライナー40周年記念企画、「旭川ふしぎ発見!」。旭川の歴史をクイズ形式でおもしろく掘り下げます。監修は、元NHK旭川放送局長で旭川郷土史ライター&語り部の那須敦志さん。さあ、ミステリーハンター アツシ君、今回はどんなクイズを出してくれるでしょう…?
Q1. 常磐公園にあったあれや、これや
今回も始まりました。私たちが暮らすマチの、ちょっと昔の面白エピソードを紹介する「旭川ふしぎ発見」。まずは前回のクイズに答えていきましょう。常磐公園についての問題でしたね。
前回のクイズのおさらいです
市民の憩いの場として親しまれている常磐公園。かつてはいまよりもたくさんの施設がありました。次の4つのうち、以前常磐公園にあったものをすべてあげてください。
Ⓐ料亭
Ⓑミニ動物園
Ⓒサルのおり
Ⓓ植物園
正解は4つすべて。今の常磐公園からは想像できませんよね。ただ60代後半の僕と同じか、さらに年上の方なら、Ⓐ~Ⓒについては記憶しているのではないでしょうか。
料亭は、園内に3つもありました。頓宮近くの通路沿いにあった花月園(かげつえん)、千鳥ヶ池のほとりにあった登喜和園(ときわえん)、そして千鳥ヶ池から伸びる細い水路=白鳥の池のわきにあった駒止(こまどめ)。花月園と登喜和園は、中心部の老舗料亭の支店でした。
ミニ動物園は、ボート乗り場付近にあった売店、大中(だいなか)が設置しました。店の脇に小さな池があり、それを取り囲むようにタヌキやキツネ、ウサギなどの飼育小屋がありました。ガチョウ、チャボ、七面鳥、さらにワシやタカなどの猛禽類が飼われていた時期も。
サルのおりは、千鳥ヶ池と白鳥の池との交点あたりにありました。
最後に植物園です。大正時代の末に「北海道有用植物愛護園」という名前で開設された民間の施設で、昭和に入って市に移管されました。興味深いのはこの植物園を開設した人物。松岡蕗堂(ろどう)という人で、函館時代の石川啄木の友人としてよく名前が出てくる人なんです。その後、函館を離れた蕗堂は新聞記者になって道内各地を巡り、明治末に旭川にやってきます。彼は植物園の脇に住み、移管後も市の嘱託職員として管理に当たります。そして戦後間もなく亡くなるまで、常磐公園に住み続けました。
大正5年の開園からまもなく110年になる常磐公園。まだまだ歴史のエピソードは尽きませんね。
日本の都市公園の成り立ち
景勝地である寺や神社の境内を接収し、一般に無料公開したのが始まり。このためかつての公園には休憩所を兼ねた茶屋や飲食を楽しむ料亭がつきものでした。東京・上野公園にも有名な料亭がありますね。
Q2. 旭川ゆかりの大投手スタルヒンの宝物
では、次のクイズです。プロ野球創成期の名選手で、日本初の300勝投手、ヴィクトル・スタルヒン。少年期を過ごした旭川への思いは生涯変わることはありませんでした。
彼が大切にした旭川ゆかりのものとは?以下から1つ選んでください。
Ⓐ職人手作りのイス
Ⓑ大雪山を描いた絵
Ⓒ木彫りの熊
Ⓓ神居古潭の美しい石
答えは次回。お楽しみに!