ライナー40周年記念企画、「旭川ふしぎ発見!」。旭川の歴史をクイズ形式でおもしろく掘り下げます。監修は、元NHK旭川放送局長で旭川郷土史ライター&語り部の那須敦志さん。さあ、ミステリーハンター アツシ君、今回はどんなクイズを出してくれるでしょう…?
Q1.旭川ゆかりの大投手スタルヒンの宝物
前回のクイズのおさらいです
プロ野球創成期に活躍した大投手、スタルヒン。少年期を過ごした旭川への思いは生涯変わることはありませんでした。彼が大切にした旭川ゆかりのものとは?
Ⓐ職人手作りのイス
Ⓑ大雪山を描いた絵
Ⓒ木彫りの熊
Ⓓ神居古潭の美しい石
正解はⒸ。
昭和9年、上京の際に旭川駅で撮影した写真(画像①)で同行者が待っているのがその熊です。
上京直後の写真(画像②)では、スタルヒン本人が同じ熊を脇に抱えています。彼はその後もこの熊を持ち歩き、試合の際はベンチにまで持ち込んでいたそうです。守り神のように感じていたのかもしれませんね。
スタルヒンが、ロシア革命で国を追われた両親とともに旭川にきたのは大正14年、9歳の頃。日章小学校で野球と出合い、旧制旭川中学(現旭川東高校)ではエースとして活躍します(画像③)。早大への進学を夢見ていましたが、昭和9年、日米野球のために結成された職業野球団に加わるよう強い圧力を受けて上京します(画像②はその入団時のものです)。
スタルヒンは少年期を過ごした事実上のふるさと旭川に強い思いを抱いていたと伝えられています。実は彼は上京の1年前、大きな悲劇に見舞われています。父親が、経営していた喫茶店のロシア人女性店員を殺害する事件を起こし、逮捕、収監されたのです。大黒柱を失い生活苦に陥った彼と母親の窮地を救ったのが、旭川の人たちでした。中学の友人が小遣いを出し合って学費を肩代わりし、生活費を融通してくれる支援者を探し回りました。
彼にとって旭川はようやくたどり着いた安住の地であり、自分を温かく迎えてくれた仲間のいるまちでした。彼にとっての守り神=木彫りの熊は、旭川そのもののような存在でもあったのかもしれません。
スタルヒンの熊は誰の作?
木彫り熊は、アイヌの人たちが生活の糧にしていた工芸品ですよね。スタルヒンがこの熊をどこで手に入れたか詳細は不明ですが、旭川の木彫り熊の名工と呼ばれた松井梅太郎の作と言われています。
Q2.昭和の喫茶店ユニークな名は?
次のクイズです。旭川に喫茶店が出店したのは大正末。昭和に入り、さらに数店が中心部に開店しました。
昭和7年、師団通(現平和通買物公園)の7条通8丁目に、風変りな名の喫茶店ができました。その店名を次の中からお答えください。
Ⓐ坊ちゃん
Ⓑ嬢ちゃん
Ⓒ赤ちゃん
Ⓓフクちゃん
答えは次回。お楽しみに!