ライナー40周年記念企画、「旭川ふしぎ発見!」。旭川の歴史をクイズ形式でおもしろく掘り下げます。監修は、元NHK旭川放送局長で旭川郷土史ライター&語り部の那須敦志さん。さあ、ミステリーハンター アツシ君、今回はどんなクイズを出してくれるでしょう…?

Q1.師団通のランドマークは?
私たちが暮らす旭川の、ちょっと昔の面白エピソードをご紹介する「旭川ふしぎ発見」。まずは前回のクイズに答えていきましょう。

前回のクイズのおさらいです
大正時代、4条通8丁目には、一部5階建ての建物があって、師団通(現平和通買物公園)のランドマークになっていました。どんな用途の建物だったのでしょう?
Ⓐ役所の合同庁舎
Ⓑ銀行
Ⓒ映画館
Ⓓデパート
正解はⒸ。名称は第一神田館です。当時はまだ無声映画の時代で、活動写真館と呼ばれていました。

旭川一の繁華街、4条師団通8丁目に第一神田館が創業したのは明治44年。函館の錦輝館(きんきかん)に次ぐ道内2番目の常設の活動写真館でした。大正6年の大改築の後は、一部5階建ての優美な姿で師団通のランドマーク的存在となりました。
経営者は、理容業で成功し興行界に進出した佐藤市太郎です。彼の神田館チェーンは旭川の3館を始め全盛期は道内に11を数え「神田館の大将」と称されました。

チェーンの中核だった第一神田館が炎に包まれたのは、大正14年6月のこと。3階の映写室で次の上映作の試写中、フィルムに火が移り、白亜の建物は塔部分から焼け落ちて全焼してしまいます。当時、チェーンでは他でもこうした火災が起き、さしもの市太郎も事業の縮小を余儀なくされました。
そして入れ替わるように旭川の興行界に現われたのが、本間誠一です。本拠地は旧国劇ビルのある3条通8丁目。もともと市太郎の第二神田館があった場所で、本間が市太郎から建物を買い取り、映画館の経営に乗り出しました。
戦後、旭川で本間興行を立ち上げると、全国各地の映画館を買収する一方で東京時代に培った歌舞伎役者や映画スターとの人脈を活かし、次々と意欲的な舞台や音楽の興行を企画します。その手腕でたちまち日本を代表する興行主にのし上がり、業界では「西の吉本、東の本間」とまで称されました。
旭川っ子は映画好き?

市太郎や本間のような大物興行主を輩出した旭川は、数多くの映画館があったことでも知られています。かつてキネマ街と呼ばれた4-5仲通り7〜8丁目など、最盛期には市内に20館もの映画館がありました。
Q2.名物店長あだ名はなぁに?
この歴史クイズも次でいよいよ最終回!これが最後のクイズです。

大正末から昭和初期、4条通8丁目の師団通には、和服にエプロン姿の女給さんが迎えてくれる人気店のカフェー・ヤマニがありました。店長の速田弘には、いくつかのあだ名が。彼のあだ名ではなかったのは、次のどれ?
Ⓐヤマニの兄貴
Ⓑヤマニの大将
Ⓒ旭川一のモボ(モダンボーイ)
Ⓓカフェー界の帝王
答えは次回。お楽しみに!