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- ©臼井儀人/双葉社・シンエイ・テレビ朝日・ADK 2018
おバカでお下品なしんちゃん。なぜかちょっぴりカッコいい。
今回はどこぞの世紀末救世主伝説みたいに、拳法VS拳法の闘いが繰り広げられる。わかりやすい形で「悪」が登場し、それに抗うものが立ち上がる。我らがかすかべ防衛隊もそこに加わる。しかしそこから勧善懲悪にはならない。今回もおバカな面々によるドタバタという基本を踏襲しながら、深く難しいテーマに挑んでいる。今回は「正義とはなにか」「平和とはなにか」というような事が描かれていて考えさせられる。
私はこの作品を六歳の息子と一緒に見に行った。鑑賞後、「しんちゃんおもしろかったね」と言うと、「でもちょっとカッコよかった」と答えた。しんちゃんは特にカッコいいふるまいをしたわけではなく、いつものしんちゃんだった。しんちゃんのカッコよさは子供たちにちゃんと伝わる。おバカでお下品なしんちゃんの中にこそ、平和のヒントがある。
往年のカンフー映画へのオマージュを散りばめ、いつものドタバタも散りばめ、深いテーマにも挑む。そしてそれを子供にもわかるように描く。道徳の言葉みたいなもので説教しても伝わらないことを、しんちゃんが尻を出しながら教えてくれる。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
今回は巨大ラーメンチェーンが悪役として登場する。売上至上主義のこの会社は、自社の売り上げが上がりさえすれば他のことはどうでもいい、という姿勢を貫く。小さな商店を地上げしてぶっ潰し、そこに巨大なビルをぶっ建てる。あちこちで目にする情景だ。売り上げが上がるなら商品の安全性など気にしない。多少問題があろうと売ってしまえ。これも近年ニュースで不正行為としていくつも報道されている。程度の差こそあれ、描かれている「悪」は身近なものだ。
そして虐げられる弱者の中から立ち上がるものが現れる。「柔よく剛を制す」的な拳法で巨悪に立ち向かう。この拳法の究極奥義こそが平和を取り戻すための最後の手段のように描かれる。しかし。物語の終盤でこの究極奥義の姿が明らかになると疑問が生じる。この技は相手の戦意を喪失させることで争いを無くすというものだ。自分で考えることをしなくなることで戦意を失う。いわばロボトミーなのだ。巨悪への憎悪によって自分を見失った拳士がこれを会得して間違った方向へ進み、我らがしんちゃんはそれを救い出そうとする。
究極奥義を会得した人物は敵を倒した後も暴走を続ける。地上からすべての「悪」を根絶しようとし始める。我々の身の回りにある小さな「悪」を糾弾し、問答無用でロボトミーしていく。まさにSNSにはびこる勧善懲悪を見ているようだ。悪徳ラーメンに毒されていた人々が今度は暴走する正義に怯える。怯えて萎縮している人か、ロボトミーによって人間ではない状態にされた人しかいない世界。そこに争いはない。それは果たして平和と言えるのか。平和とは争いがない状態のことを指しているのか。
しんちゃんはいつだってカッコいい。品はないかもしれないけれど常にまっすぐだ。「正しい行いをする」というような気負いがなく、それゆえに正義が暴走することもない。完全無欠ではないどころかちょっと問題児ですらある。
ラストで世界に平和をもたらすジェンカ。ジェンカを上手に踊るコツがなんであるかは、実は作品の冒頭で描かれていた。何気ない園児の日常を描いたシーンのようでありながら、作品のメッセージのすべてがそこに描かれていたのである。ジェンカを上手に踊るコツ。それこそが平和をもたらすカギである。しんちゃんたちはそれに気づき、間違った「正義」を正すのであった。