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家族とはなにか。是枝監督は一貫してそれを描き続けているように思う。血縁の有無。個と個の交わり。そこに生まれる絆。そうしたものを描き、問いかけている。
本作のタイトルは「万引き」と「家族」を連結したもので、言葉の持つ力のバランスからどうしても「万引き」のほうに意識が引き寄せられる。しかし作品の軸足はむしろ「家族」の方にある。
冒頭からいきなり親子で万引きをするシーンが描かれる。もちろんそれは悪事だし犯罪だ。その帰り道、彼らは虐待を受けている少女に手を差し伸べ、連れ帰る。紛れもなく誘拐であり、これも犯罪だ。しかしそれは悪なのか。わからない。まさにこの少女とほとんど同じ状況で虐待死した少女のニュースが聞こえてくる中で、この誘拐を断罪することには少なからず抵抗がある。
ストーリーが進行すると主人公一家は様々な事情を抱えていることが見えてくる。答えの出ないさまざまな問いが浮かんでくる。貧困の原因はどこにあるのか。家族とはなにか。絆とはなにか。親子のあるべき姿とは。そしてしあわせとはいったいなんなのか。
答えを提示するのではなく問いかけるようなラストシーン。少女の眼にあなたは何を見るだろうか。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
万引きで生計を立てる貧困層の一家を描いた作品かと想像していたけれどまったくそうではなかった。一家はいわゆる一般的な意味での家族ですらないのだ。
冒頭、親子で万引きをするシーンからスタートする。親子は万引きの後、寒空のベランダに放置されている、虐待を受けているらしい少女を連れ帰る。一家がよその子を保護して一緒に暮らし始めたように見える。が。物語が進んでいくと、この一つ屋根の下に暮らす人々は、そもそも血縁でもなんでもない人々の寄り合い所帯であることがわかってくる。冒頭の万引き親子も本当の親子ではなく、夫婦は夫婦ではないし、ばあさんも親でもなんでもない。
何らかの理由で「家族」という関係をうまく築けなかった人たちが集まって言わば家族ごっこをしている。それは偽りのものだし、ままごとのようなものと言えなくもない。その偽りと本物の間にはどんな違いがあるのかといえば「血縁」と言えよう。ある意味動かしがたいほど重要な要素であり、見方によってはたったそれだけの希薄なものでしかない。血縁だけで愛も優しさもまるでない関係と、こぞって万引きをするという歪んだ状態でありながら絆らしきものが見え隠れする偽りの関係。虐待があろうとなにしようと、血縁があるという揺るがぬ事実から簡単に復活する本物の関係。対して偽りの関係は深い絆に見えていながらも、ちょっとしたきっかけであっさり崩壊する。
何が正しいのか。誰がどうすれば良かったのか。そもそも何をもって「良い」とするのか。問題の根源がどこにあるのかもはっきりしない。
格差、虐待、貧困児童。死ぬのにまで金がかかる社会。時事的にもタイムリー過ぎるテーマを扱ったこの作品。考えさせられることが多く、しばらく結論が出そうにない。