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今年のベストはこれです、と断言してしまいたくなる。年齢、性別、家族構成など見る人の境遇によって違った世界を見せてくれる。まさにこれぞ映画と言えるような映画だ。
主人公のクンちゃんは幼い男の子。妹が生まれ、ヤキモチを焼く。クンちゃんはずっとその場所で家族を見守ってきた庭の木に導かれ、時空を超えて血縁に会う。知らないうちに受け取っていたバトンをしっかりとつかみ、それを握って走り始める。単純に言ってしまえばクンちゃんの成長譚なのだけれど、登場する人物たちがそれぞれとても丁寧に作り込まれていて見どころは多すぎるほどある。
この映画を見終えると自分の兄弟、親、子、祖父母などが全然違って感じられるだろう。子供のことが一層いとおしくなったり、しばらく会っていない離れて暮らす家族に会いたくなったりするかもしれない。
未来のミライちゃんが最後に言った言葉が風鈴の余韻のように残る。確かにあのミライちゃんぐらいの年齢の頃、生まれてからそれまでの時間は永遠みたいに思えた。でも今ここから振り返ればその永遠は束の間にすぎない。
かつてクンちゃんだった僕らは、クンちゃんが見据えた「遠く」のその先に立っている。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
クンちゃんはお兄ちゃんになった。妹が生まれたから。
子育て中のお父さん、お母さん。お兄ちゃんのいる妹、妹のいるお兄ちゃん。孫を持つおじいちゃん、おばあちゃん。かつてクンちゃんみたいだった人。未来のミライちゃんぐらいの年ごろの女の子。かつてミライちゃんみたいだった人。そういう人たちにはこの映画はどう見えるのだろう。そんなことを想像するのもとても楽しい。
例えば私は子育て中のお父さんで、妹のいるお兄ちゃんでもある。かつてクンちゃんのようだったし、クンちゃんのような男の子を育てている。そうなってくるともうかなり濃密にこの映画の世界に踏み込んでいて、VRだとかそういったものを使わなくても映画の世界が現実のように感じられる。感情移入などという次元ではない、大変な没入感だ。
この作品はとにかく子供を描くということに情熱を注いでいて、クンちゃんやミライちゃん(赤ちゃんのほう)の動きや表情にかなりのリアリティがある。もちろんアニメ的デフォルメはされているけれど、ほとんど自分の子供そのままのように見える。
何を言っても全部「イヤだ!」と言ったり、妹やお父さん、お母さんのことを「好きくない!」と言ったり、よくわかっていないまま「イエデする!」と言ったりする。極めつけは、キャンプに行くという日の朝、お気に入りのズボンが洗濯中で履けないことによって、「黄色いズボンじゃないなら行かない!」と言い出したりする。まさに全部見たことがある。今目の前にいる子供がまさにそういうことを言う。ということはきっと、かつての僕自身もそういうことを言ったろう。
子供のいる日常をディテールに至るまで丁寧に描く。それによってそこから地続きのまま非日常へ飛躍していったとき、その突拍子もない話も全部リアリティをもって感じることができる。うちの子もまさに突然自転車に乗れるようになった。もしかしたら時空を超えて若き日のひいおじいちゃんのオートバイに乗せられ、「ずっと遠くを見るんだ」と教わったのかもしれない。
ラストシーン。「お別れなの?」と聞くクンちゃんに、未来のミライちゃんは「これからうんざりするほど一緒じゃん」と答える。そう。クンちゃんのいる時間では、ミライちゃんはまだ生まれたばかり。15歳ぐらいの頃、15年っていうのは永遠とほとんど変わらないような長さだった。それが四十何年も生きてくると「うんざりするほど」と思った時間はあっという間にすぎ、永遠に一緒かと思っていた妹は海外で暮らしていて、数年に一度会うか会わないかぐらいの距離感になった。
ミライちゃんが未来からクンちゃんを見ているように、僕はミライちゃんぐらいの年頃の自分を振り返って「そう言うけど15年なんてあっという間だぜ」と声をかけたりする。
この映画はきっと、いつまでもずっと繰り返し楽しむことができる。そしてその時々で全然違って見えるのだ。座右の一本になり得る傑作と言える。