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プーさんの絵本の中でその物語の聞き手であったクリストファー・ロビンが、絵本が終わった後の人生を生きていたら…、というお話。その設定を聞いて想像するのはだいたいこんなストーリーだ。きっと大人になってプーさんたちのことを忘れてしまい、社会に揉まれて日々を過ごしているところへ何らかのきっかけでプーさんたちのことを思い出し、大切なことはここにあったよね、という結論に至る。
本作はまさにこの通りの物語であり、そういう意味で意外性はほとんどない。ありがちなテーマをプーさんのその後という形で描いたに過ぎない。それなのに。見終えたときに何か温かいものが残る。
1920年代に発表された『くまのプーさん』。当時子どもだったクリストファーのその後として、戦後すぐぐらいのイギリスを舞台にしている。しかし余暇もほとんどなくひたすら楽しくもない仕事に打ち込む彼の姿は、それから70年近く後の世界を生きている僕らにとって身近なものだ。僕らはまるで前進していないのではないか。
「なんにもしない」をする。それが最高のなにかにつながる。本作はそう繰り返す。しかし「なんにもしない」をするのは案外、難しい。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
絵本の中で物語の聞き手であったクリストファー・ロビン。絵本の中では100エーカーの森は架空のもので、お話を聞いてクリストファーの頭の中に広がった世界だった。本作は、でも実はその世界は架空のものではなく、クリストファーだけが知っている扉を通って実際に行くことができるという設定になっている。それを知っているのは彼だけだが、それでも実在していることになっている。
作品冒頭で、絵本の世界を生きていた少年時代のクリストファー・ロビンが、その後の人生をどう歩んできたかが駆け足で描かれる。寄宿学校があり、戦争があり、そして戦後がある。本作は全体として容易に想像できるストーリー展開になっているけれど、この冒頭の駆け足っぷりだけは意外であった。かなり思い切った演出をしてあって、ちょっと速すぎると感じるほどの速さで一気に数十年を駆け抜ける。わずかな文字しか書かれていない絵本で一つのページにゆっくり停滞するという子どもの読み方ではなく、一気に必要な部分だけを流し読みするような感覚。すごく、慌ただしい。
作品世界の時代設定はおそらく今からおよそ60〜70年ぐらい前だろう。その時代の英国を再現している映像も本作の見どころの一つだ。しかし、この同じお話を今年、2018年を舞台にしてやろうとすればそのままできてしまうだろう。リストラに瀕しながら呪いのように効率化を唱え、家庭をないがしろにして仕事に奔走する。将来の幸せのために、と言って奮闘する。子どもにも将来のためと言ってハードな日常を強要する。
もちろん、この作品は現代のそういった問題を批判する意図もあって作られたものだろうから当然ではある。問題は現代の問題を描くのに70年も前を舞台にしていて何ら支障が無いという事実にある。社会はまるで進歩していないのではないかと思わされる。それを浮き彫りにすることも本作の目的の一つかもしれない。
「なんにもしない」をするというのは、ただ「なにもしない」というのとは違うような気がする。なにもしないを「する」のだから。