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- ©映画「この道」製作委員会
トラッドとかスタンダードと呼ばれるような、いわゆる誰もが知っている歌というのがある。誰かが口ずさめば、細かいところが曖昧でもなんとなく歌いだせるような、具体的な思い出ではない自分の原風景みたいなものと結びついているような、そんな歌がある。もっとも世代を超えて老若男女誰もが知っている歌といえば、それはたぶん童謡だ。
『この道』は童謡の歌詞を多く残した北原白秋について描いた作品だ。おそらく北原白秋という名前は多くの人の記憶にあるし、どれが彼による詩か知らなくても、この作品に登場する詩歌の断片は知っているだろう。誰の作か知らなくてもその作品はきっとみんな知っている。そんな歌、詩で彼らの生きた時代を彩りながら描いている。しかしながらエピソードは大胆に抜粋されていて限定的であり、伝記映画というわけではない。
この作品で見る白秋という人は極めて純粋だ。ろくでもない男と言われていながら、誰一人、彼を愛さない人がいない。多くの人に愛され、多くの人に愛される詩を数多く残した北原白秋。この道はいつか来た道。彼が想像もしえなかったはずの未来を生きる僕らにも、彼の紡いだ言葉は深く響くのであった。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
北原白秋って知ってる? もちろん知ってる。本当に? 本当はよく知らなかった。知っていたのは名前と彼が詩人であるということぐらいで、どんな人だったのか、どういう時代をどんな風に生きたのか、何も知らなかった。『この道』は山田耕筰による回想という体裁で北原白秋を描いている。しかし史実に忠実に描いた伝記映画ではないため、この映画から受け取る印象だけで北原白秋をわかったような気になってしまうのもまた少々危うい。
ここに描かれている白秋という人はいろいろすごい。隣家の奥さんと不倫する、姦通罪で逮捕される、朝っぱらから酒を飲む、初対面の山田耕筰とつかみ合いのケンカをする。信念を持って激高し、弱さを指摘されると反省する。嬉しければ人目をはばからずに泣き、震災や戦争に人一倍心を痛める。はた迷惑な男だしトラブルも多いけれど、彼にはわずかな悪意もない。それ故、振り回されている周囲の人たちも、誰一人彼を憎んだり恨んだりしていない。むしろ皆、彼を愛しているのだ。そういう人物だからこそあれだけの詩歌を書き得たのだろう。そういう人物だからこそ、戦争が大きな、大きすぎるストレスになったであろう。
晩年、山田耕筰と北原白秋による童謡の合作は、戦争によって中断されたまま白秋の死によって永遠に再会されなくなってしまう。あの戦争によって失われたものは計り知れない。もし二人による童謡がその後も書かれていたなら、僕らのスタンダードはもっともっと増えたことだろう。
戦争へと続いたその道もかつて来た道。同じ轍を踏んではいけない道もまた、そこにある。