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- ©2019映画「七つの会議」製作委員会
「24時間戦えますか、ビジネスマーン」という歌が昔、あった。今で言うエナジードリンク的なもののコマーシャルだった。ビジネスマンは企業戦士などと呼ばれ、寝る間も惜しんで働いた。それを推奨するようなコマーシャルが堂々と放映され、誰もそれに疑問を感じなかった。高度成長の亡霊を追いかけていた時代のことだ。近年はブラック企業などという言葉が流行し、働き方改革ということが声高に叫ばれている。ビジネスマンはもはや戦士ではなく、ワークライフバランスを大事にしようという動きが盛んだ。それでも大手の企業で若い社員が過労死したりしている。
『七つの会議』は少々前時代的な企業を舞台に繰り広げられるあれこれを描いた作品だ。真実はどこにあるのか、ということを追うサスペンスだが、企業に代表されるような共同体と個人がどう向き合うのかということを問うたドラマでもある。社員は全員兵士といった感じの会社の中で、主人公は会議中に堂々と居眠りをするぐうたら社員。仕事とは何か。企業とは何か。そもそも資本主義とは何か。
まだ2月なのにもう今年のベストみたいな作品だ。エンドロールのラストまで1カットも見逃せない。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
この作品で描かれているのは偽装だ。データの改ざんによる偽装とその隠蔽。フォルクスワーゲンが排ガス規制のためのデータを改ざんしたニュース、国内でも三菱自動車を筆頭に、スバル、日産など、データ改ざんが安全、安心を脅かす事案は数多く発生している。『七つの会議』に描かれているデータ改ざんに最も近いニュースとしては神戸製鋼の一件が思い浮かぶ。扱っている商品が基幹に関わる重要なものであるがゆえに、そのデータの改ざんが及ぼす影響は計り知れない。
神戸製鋼の不正が発覚したとき、しきりに「純日本的な体質」ということが言われた。ここでいう日本的というのはどういうものを指しているのだろうか。日本人はこと、「運命共同体」的なものを好む。一億玉砕を筆頭に、みんなが一丸となって、というものを好む傾向がある。1970年代に高度成長が終わった。終わったのではなく「完了した」のである。高度成長の只中にある時、日本人は一丸となって目標に向かっていた。戦後の焼け野原からわずか30年、世界にも類を見ない速度で近代化を成し遂げた。重要なのは成し遂げたということだ。目標は達せられ、成長は完了した。目標が達成されるとその目標はもう無い、ということが初めて露になった。そして次の目標を見いだせないまま数字を追いかけてバブルが膨らみ、やがてはじける。金融の危機、多額の公的資金投入、意味不明なほど高額の負債。北海道では銀行が破綻し、さらには自治体までもが破綻した。過労死やうつ病の増加、終身雇用、年功序列の崩壊などと並行し、年金や健康保険の破綻ももう時間の問題だろう。すでに資本主義は機能しておらず、これまでやってきた方法ではうまく行かないことが明らかだ。それなのに。それなのにである。NHKや電通で若い社員が死に、売り上げのためにデータを改ざんして安全性の低いものを世に出す企業も後を絶たない。
『七つの会議』は最初から終わりまですべてが見どころだ。神戸製鋼のように「純日本的」な体質を持つ企業を舞台に、数字を追いかけるビジネスマンの姿が描かれる。企業の体質とそれをもたらす企業体の体質、トップダウン式の絶対服従、成果至上主義。
主人公の八角はエンドロールで所感を述べる。野村萬斎演じる八角の語りはそれだけである表現になっていて見事だ。すべての映像が終わり「この物語はフィクションです」という文字が表示される。この物語はフィクションです。しかしこれとほとんど変わらないことが現実に起きていることを、僕らは皆知っている。