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- ©赤塚不二夫/えいがのおそ松さん製作委員会 2019
困った。この連載始まって以来最高に困った。この作品には熱狂的なファンが大勢いて、公開初日の映画館はそういう人で溢れかえっていた。そういうファンではない人にこの作品をどう紹介したらいいのか、とても困ったのだ。
全然面白くない楽屋落ちの前説は実写版銀魂のものに及ばないし、品格のない下品さはクレヨンしんちゃんに及ばない。とってつけたようなストーリーはひたすら薄く、メッセージには説得力がない。散りばめられたパロディは安直だし演出はベタだ。
ではいいところはないのかと言えばそんなこともない。声優の芝居はものすごいことになっているし、クライマックスの作画はアニメーションとしてとても楽しい。終盤から登場する手紙は、差出人像も内容もわからないという状態で文学のようにひたすら遅延され、ラスト10分で物語は急展開を見せる。この辺は実に面白い。序盤の印象がひっくり返っていい気分でエンドロールを迎えられる。それなのにエンドロール後の蛇足がひどくて興醒めになってしまった。
全般に作品の人気に寄り掛かった映画という印象は否めないが、後半には少々マニアックではあるものの確かになんらかの魅力がある。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
言いたいことというのがなんとなくある。ありそうな気配はする。しかし、書いた人がそれを信じているのかというところに疑いがある。我らが六つ子たちはニートで童貞だそうだ。何歳なのだろう。本作に具体的な年齢は出てこないけれど、それほど年が行っているわけではないはずだ。だとしたら高校三年生のころのことを忘れすぎなのではないかという気がする。数年でそんなに曖昧にはならないだろう。それなのに六人が六人とも、高三のころの記憶をほとんど持っていない。もちろん、お話としてそういう状況が必要だからだ。
物語は高校の卒業式の前日を舞台にしている。ニートな六人が記憶の中の世界へトリップしてしまい、過去の自分たちとやり残したことをやるというような話だ。悩める若き日の自分に会いに行き、自分自身の背中を押す。いい話になりそうな気配がそこにはある。が。彼らはニートなのだ。仕事なし彼女なしという状態を自分たち自身もあまり良い状態だとは思っていない。にもかかわらず過去の自分を前にして、「おまえはそのままでいい」という。確かに彼らは楽しそうだ。でも楽しいからいいんだ、という自信がみなぎっているわけでもない。その中途半端な姿勢が作品全体を中途半端なところにとどめてしまう。いくつかのキャラクターを使って「そのままでいい」ということを訴えるのだけれど、書いている本人が本当にそう思っているのか、という疑問がわく。その疑問が映画の中に漂っているところに問題があると思う。
終盤、そもそものきっかけは読むことができなかった一通の手紙であるということが判明する。判明したあとはその差出人である「高橋さん」という人物がにおわされ、ひたすら遅延される。読めなかった手紙の中身もわからないまま遅延される。この遅延はほとんど文学のようで、この作品の中で唯一うまくいっている。見ている僕らは高橋さんのことが気になる。手紙の内容も気になる。しかしなかなか高橋さんに行きつかない。本人不在のまま名前だけが中心にある。この映画で最も面白かった部分は、個人的にはここだった。
ラスト10分、満を持して高橋さんが登場する。手紙は結局読めずじまいだったけれど、ラストで高橋さんによる朗読という形で披露される。ここにある種のカタルシスがあって、それまで見てきた作品の印象がひっくり返る。正直な話、途中かなりしょーもないな、と思って見ていた私はここに至って大いに満足した。急転直下ぶりの驚きも含めて感心したのだ。気持ちよくエンドロールを迎える。
なのに。なぜエンドロールの後に蛇足を付けるのか。観客が冒頭の絵を忘れているだろうからという親切心なのか。この蛇足が興醒めで、せっかく盛り返した印象がまた暴落したのだった。今回ばかりはエンドロールが始まったところで席を立ってしまえばその方が後味は良かったのではないかと思った。