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- ©2019「まく子」製作委員会/西加奈子(福音館書店)
かつて何の疑問もなく子どもだった。どこかで扉を開けるように大人になるのだと思っていた。でも子どもから大人への変化は少しずつ現れ、ある日突然ではなくだんだん大人になっていくということを知った。そのことがたまらなく嫌だと思ったことが、僕にもあった。
『まく子』はその変化の入り口に立ち、大人になることを忌避したいと思っている少年をちょっと変わった方法で見事に描いた児童文学の傑作だ。それが映画化されたことを、このコーナーで扱う作品を選定するときに初めて知った。
この映画はとてもいい。キャスティングが実にいいので心地よい後味を残す。原作に比べると全体にあっさりした印象ではある。特に終盤、原作ではストーリーの外側に込められたものが次々に去来して、ああそうなのか、そうなのだ、と一粒一粒が体の隅々にしみわたっていくような感動があるが、映画はストーリーが過ぎ去って心地よさだけが残る。しかしこの心地よさは緻密に作りこんで実現されたものだ。脚本はかなりよく練られていると感じる。特に父ちゃんと慧(さとし)の二人のシーンは父ちゃん役の草彅剛がとんでもなく良い芝居をしていて原作よりも響く。この映画一番の見どころと言える。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
大人になりたくない少年がいろいろあって大人になることを受け入れる。いわゆる少年の成長ものだ。この作品がすごいのは、そのありがちなテーマを奇想天外な方法で物語にしたところだ。少年は自分の体が成長して変化していくことを嫌悪している。なぜ今のままでいさせてくれないのか。少年は成長したその先に大人があり、さらに先に老化があり、やがて死が訪れることを知っている。「死ぬために無理やり成長させられている」と。周囲にこんな大人になりたいと思えるような大人が一人もいない。そんな大人になりたくない。そういうところを通る少年はきっと少なくないだろう。きっとみんなそれを、それぞれの方法で乗り越えて大人になる。
この作品は少年が成長することを受け入れるまでの過程を描いている。そこには様々な出会いがある。子ども同士の残酷な現実とばかで野蛮な大人の世界。女好きでどうしようもない父親。小学生相手に漫画を読むニート風の男。映画では絞られているけれど原作にはほかにも社会に適合していないように見える大人が登場する。
あるとき少年の前に現れた奇妙な少女コズエ。少年はコズエと出会ったことで世界の見え方が変わる。成長するというのはきっと、世界の見え方が変わることなのだ。嘘つき呼ばわりされている引きこもりの少年が、だめな大人だと思われているニートの青年が、とても素晴らしいものを持っていることに気づく。ろくでなしだと思っていた父親が安心をくれる。ほとんど憎悪していた父の浮気相手が、嫌だと感じていた祭りの本当の意味を教えてくれる。
ラストシーン、少年は明らかに作品の冒頭とは別の場所にいる。そうなのだ。きっと僕らも、そうやって大人になってきたのだ。