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- ⓒかわぐちかいじ・惠谷治・小学館/「空母いぶき」フィルムパートナーズ
兵器には魅力がある。明快な目的のために一切の無駄を排したデザイン。それは日本刀が美しいように、美しい。それを主軸に据える映画は、ともすると「兵器を出したいだけ」のものになり下がる危険と隣り合わせだ。本作はどうだろうか。
日本で最新の兵器を描いて映画を作るとすれば、やはり自衛権の問題に絡めて有事を演出し、そのとき日本はどうするのか、ということを問うことになる。そういった小説、映画などはこれまでにも数多く作られてきた。本作もそういった方向の作品だがテーマ性に新しさは見られない。
世界の警察だった大国がその役割を降りたために同時多発的に発生した小国の一つが「敵」として描かれる。出自を明らかにしないことで政治色を帯びることを避けているわけだが、それがリアリティを損ねることにつながり、その結果「兵器映画」になってしまってはいまいか。
リアリティと言えば空母の甲板のデザイン、あれは理にかなっているのだろうか。着艦時に不都合はないのだろうかという疑問を持ちながら見ていたが、ついに最後まで着艦シーンが描かれることはなかった。有事を描くという意味では『シン・ゴジラ』の方がむしろ成功していたように思う。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
有事に絡めて日本の自衛権の在り方、武力の在り方を問うという幾度となく描かれてきたテーマを扱っている。そのためどうしても過去の他の作品と比較してしまう。
近未来を舞台に架空の国を相手にして勃発する「有事」。物語の主役たる空母それ自体が架空のものだ。ミリタリーファン的な視点をとると空母にはロマンがある。海軍でありながら航空戦力を持つ。思えば『トップガン』も空母の物語であったし、アメリカには『スーパーキャリア』という空母を舞台にしたドラマもあった。
本作はその名も『空母いぶき』。空母を描きたい作品だ。しかし「空母かっこいいだろう」という少年的無邪気さではない。マイケル・ベイ監督あたりだと「兵器見せたいから作りました」みたいなあっけらかんとした作品をド派手に出してきて、かっこよければそれでよし、という潔さを感じるわけだが、無論本作はそんな風にはならない。そのぐらい底抜けであれば逆に好感が持てただろうが、どうも中途半端な印象を受ける。
有事の際に日本政府はどのように動くのか。防衛のための戦力である自衛隊をどのように行使するのか。きれいごとが通じない状況に陥ったとき、なにが正しいのか。思えば『亡国のイージス』などもそういうことを描いていたし、小説では村上龍の『半島を出よ』が大変な迫力でそれを描いている。
本作はそういうテーマを描くという意味で、あまり成功しているとは思えない。原因はいくつかある。まず架空の空母いぶきのデザインが漫画っぽいことが挙げられる。ついでいぶきの艦長の人物像がわかりにくい。そしてそもそも仮想敵となっている架空の国の成立した背景に説得力がなく、攻撃の意図もよくわからない。ストーリー上の理由はもちろんあるものの、それにしてはやっていることの規模が大きすぎやしないか、という問題がある。そしてこの「敵の意図が見えない」状態は解消されないまま事態が収拾し、結局わからないまま終わってしまう。
俳優陣は見事で一人一人の演技も見応えがある。それなのに見終えた印象は「結局かっこいい兵器を見せたかっただけ」というものになってしまっているように思う。