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フレディ・マーキュリーの半生を描いた『ボヘミアン・ラプソディ』のヒットも記憶に新しい中、今度はエルトン・ジョンを描いた映画がやってきた。フレディは故人だがエルトンはご存命で、本作はなんとエルトン本人が製作総指揮を務めている。そのためこの作品は言わば「公式」の伝記映画と言える。エルトン・ジョン?誰?という人もいるかもしれないが、この映画を見て、流れる曲を一つも知らないという人は少ないのではないか。どれか一曲ぐらい、聞き覚えのある曲があるだろう。
エルトン・ジョンと言えば奇抜な衣装やド派手なステージと、それと相反するような美しいメロディとピアノという印象があり、押しも押されもしない歴史的なポップスターである。でもよく聞くと歌詞には悲哀が溢れているし、薬物中毒のリハビリで活動を中断したり、過激な発言で物議をかもしたりと、かなりピーキーな人物としても知られている。スターダムにのし上がるには繊細過ぎた男の寂しさと哀しさ。改めて聴くと盟友バーニー・トーピンはエルトンの心の叫びを歌詞として紡ぎ出していたようにも見える。孤独な天才の半生はそれ自体が歌であり、詩であり、そして映画なのだ。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
伝記映画にネタバレもなにもないのでこの映画はネタバレを気にせず見てもらえると思う。描かれているのはエルトン・ジョンの半生で、1990年ごろ薬物やアルコールの依存症を厚生するための施設に入ったあたりまでのエピソードで構成されている。本人が製作総指揮をしていることもあり、少々美化されているとみるべきなのかもしれない。おそらく実際のところ多少美化されているだろうが、ここに描かれている心の底が凍ってしまうような寂しさというのはエルトン・ジョンという人の根っこにずっとあるもので、そこに嘘はないだろうと感じる。この作品を見ると、まさに彼の歌ってきた歌詞は彼自身の孤独を歌っているように見えてくる。しかしその多くを書いたのは彼自身ではなく、盟友のバーニー・トーピンなのだ。改めてバーニーこそエルトンの一番の理解者なのだろうと思う。作中でバーニーが「僕は君を愛しているが、そういう愛じゃない」と言う場面がある。それを受けてエルトンも「わかっている」と答える。同性愛者であるエルトンとそうでないバーニーがこの絶妙な距離感で、その後一時縁遠くなった時期はあったものの、現在まで関係を維持できていることが、おそらくエルトンにとって大きな救いとなっているのだろう。バーニーの紡ぎ出す歌詞はエルトンの心の叫びのようだ。きっと本人が書く以上に。
なりたい自分とはなにか。本来の自分とはなにか。そうしたことに迷いや悩みを持っている人にこそ、エルトン・ジョンの歌は響くだろう。『ボヘミアン・ラプソディ』で初めてクイーンの音楽に触れた人が大勢いたように、『ロケットマン』を見てエルトン・ジョンの歌に溺れる人が大勢出てくるだろうし、出てきてほしい。心を揺さぶるような歌がここには溢れている。