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痛いところを突かれて立場が悪くなってきたときにどう行動するのか。そこに人の誠意というのが出るのかもしれない。こと政治の世界では、簡単には否を認めない(もしかすると認めるわけにはいかない)という傾向がある。そこでこの常套句。「記憶にございません!」。
本作はこの「記憶にございません!」を連発していたとても評判の悪い総理大臣が、頭に石をぶつけられたことによって本当に何一つ記憶にないという状態に陥る、という話である。しかもただ記憶が無くなるだけではない。人格まで変わってしまうのだ。その事態が巻き起こすドタバタというのが本作の軸だが、それを利用して政治を正して行こうという姿にはただならぬメッセージも感じる。疑問だらけの増税。足下を見られた外交。私欲に満ちた裏取引。飛び交う裏金。どれもコメディらしく極端な形で描かれているものの、不思議とリアリティがある。
ある日突然記憶がごっそりなくなったことによって文字通り総理大臣の心が入れ替わり、それによってこれまで誰もなし得なかった政治改革が行われる。今、政治に感じる閉塞感や絶望感。それを打開するために必要なもの、この作品にはそれが詰まっている気がする。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
三谷マジックとも言うべき真骨頂。底抜けに面白いコメディ映画である。魅力はもちろん出演している俳優陣。主演の中井貴一は言うに及ばず、脇に登場する斉藤由貴、吉田羊なども笑いを誘う。総理の妻の兄という位置で内気な人物を怪演しているのがROLLY。ちょっと他の人には出せない不思議な空気を醸し出している。
政治家の言う「記憶にございません」がもし本当に、文字通り記憶にないのだとしたら。いや、事実無根だという話ではなく、事実かどうかにかかわらず本当にごっそり記憶がなくなったとしたら。正直なところ、記憶がなくなっただけでこんなふうに性格まで変わってしまうということはあるまい、と思う。しかしもし、本来の自分に嘘をついて、なりたい自分を装って作られていたものだったとしたら、記憶とともにその作られた自分までもが失われるということはあるかもしれない。もしある日突然、総理大臣が聖人みたいになったとしたら。この作品はそこのところを、性善説というか、人は根っこでは正しいものだ、という希望を持って描いている。総理が真正直な人間に変わったとき、それに同調する協力者が多くいた。敵はほとんど官房長官だけで、総理側につく人が非常に多かった。こういう事態がなければ総理一人が改心したところで政局は動かないだろう。もちろんこの作品は社会派の政治ドラマではなくドタバタコメディなわけで、政局の動きもシミュレーションではなく荒唐無稽な急展開として描かれる。そしてそれが逆説的に、今の政治への絶望を生むのだ。
三谷作品は毎度底抜け大笑いでカラッとした後味を楽しむのだが、今回は珍しく後味が暗い。作品自体は最後まで大笑いで底抜けに楽しいのだが、ここに描かれているような政治改革は現実にはまずありえない。公用車でSMクラブに8回行きました、というようなことを会見で謝罪するような総理はありえないし、現実には謝罪したところで「素晴らしい」とはなるまい。謝罪したことの素晴らしさではなく、SMクラブに行ったという事実によって辞職に追い込まれるのが関の山だ。そのへんのことを切り分けて批判できるような国民性にならなければ、きっと政治は良くならないのだろう。
今の日本に足りないのはユーモアなんじゃないかという気がした。そしてそのユーモアは、この作品にはたっぷりと詰まっている。