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円熟のブラッド・ピットが、宇宙の果てで行方不明になったトミー・リー・ジョーンズ父さんを追って43億キロを旅する、という物語。用意されたSF要素はなかなかハードで、衛星軌道上に建造された宇宙アンテナ、ファーストフード店まである月面、火星生まれの所長がいる火星基地、海王星までの有人飛行、反物質生成装置で飛ぶ宇宙船など盛りだくさん。冒頭で「近い未来の話」というテロップが入るけれど、反物質を安定的に得て海王星まで飛ぶ、というような未来は近未来ではなくけっこう遠い未来なのではないかと思う。
用意したハードSFな舞台を用いて、描かれるのは父と子の物語だ。人類の英雄から人類の脅威にされようとしている父と、その父に対して憧れと怒りのないまぜになった感情を持つ主人公。SF的要素を散りばめた上で、この映画が描いているのはこの主人公の「人」そのものである。SFは彼を描くために用意された舞台に過ぎない。そういう人を丁寧に描く静かな作品で良かったのに、それでは退屈だと思ったのか、ほとんど不要と思えるエピソードがいくつか入るのが惜しい。そんなものなくてもブラッド・ピットの芝居だけで十分満足できるほど見応えがあるのだ。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
宇宙の果てから巨大なサージ電流が届き、地球周辺のいろんなものがその影響を受けて人類の大ピンチとなる。サージというのは雷サージなどが身近で、家の近くに雷が落ちると電線から過大な電流が流れ込み、電化製品などが破壊される、というあれだ。そのもっと大規模なやつが宇宙の果てから届く。このサージの原因と思われるのが、宇宙の果てで行方不明になった主人公の父親だ、というのが事の発端である。
父は20年前、海王星に向けて飛び立った。この時点ですでに、少なくとも海王星への有人飛行が実現している世界からさらに20年先であることがわかる。月面行のロケットは飛行場みたいになっていて定期便がありそうだし、その月面都市はファーストフード店まであるような賑わい。これを近未来として良いのだろうか。そもそも近未来という言葉がどのぐらいの未来までを指すのか、という定義自体が曖昧ではあるが、この世界は少なく見積もっても100年は先だと思う。
この作品はそういうハードなSF要素を散りばめた上で主人公の人物そのものをじっくり描いた作品である。それだけに、月面で国籍不明の部隊に襲われたり、月から火星へ行く途中で救難信号に応じて実験動物に襲われたりするくだりは不要なのではないかと感じた。これらのエピソードは登場人物を減らすという意味合いもありそうだったが、そうやって消されたのは最初からいなくてもストーリーに影響が無いような人物ばかりなのだ。ストーリーがダレないようにこういう事件を挿入したのだろうけれど、全体として見るとこれらのエピソードが取ってつけたようなものに見えてしまい、逆効果なのではないかと感じた。
逆に、火星から海王星への旅は、一人宇宙船の中ですごす主人公を描き続ける。火星から海王星へ行く途中、他の太陽系の惑星が窓から見えるといったことだってあっても良さそうなのに、そこは見せない。船内の情景だけで約80日の時の流れを描いている。ここがこうなのだから取ってつけたような事件もいらなかったのではないか。
派手なSFワードが満載ではあるが、たまたま職業が宇宙飛行士だっただけの、父と子を描いた静かな作品だ。こういう形のSFも良いな、と改めて思った。