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- 大阪時代の縁で、焼きそばの麺は、大阪の有名店と同じ仕様のものを製麺所に作ってもらっています。小麦の力を感じるコシの強い太麺は、旭川ではここだけの味。お店のスタッフが焼いてくれる大阪スタイルで、お好み焼きは、有名店で修行した「奥さんの方がうまい」と認めます
大阪粉もん文化の伝道師、森藤博行さん。テレビドラマ「北の国から」の影響で北海道に憧れ、夫婦で20年ほど前に移住。親しみやすい関西弁で、きょうも客をもてなします。
生まれは北九州市。親の仕事の関係で、名古屋、千葉などを経て大阪に住み始めたのは3歳から。九州弁や名古屋弁がミックスしたしゃべりにコンプレックスを感じ、高校生のころ、ネイティブな関西弁を身に付けるため、テキ屋のおっちゃんの下でアルバイトに励みました。
当時、お好み焼きといえば、縁日の屋台か近所のおばちゃんが小遣い稼ぎにガレージなんかで焼いていた時代。それが、大手チェーンが店舗を構え始めたことで、「職業」として認識されるようになり、自身で粉もんの会社を起こすことを考え始めました。
奥さんと「起業するなら北海道」と決めていたという20代は、それぞれお好み焼きの有名店などで修行を積みました。あまりお金はありませんでしたが、30代で車中泊をしながらいざ北海道へ。「二人で富良野や美瑛、旭川をうろうろしながら物件を探したりしてね。大阪ナンバーの謎の旅人ですよ。何度か職務質問もされました(笑)」。
知らない土地で2人で始めた店は、2007年に法人化。多店舗展開し、従業員を雇用して、彼らの生活を守る意識も芽生えました。外食産業全体の接客力の向上を目指す「居酒屋甲子園」を通じて全国に仲間もできました。外国人客のために、串カツのタネを英語で説明できるよう、社員教育にも力を入れています。病を患い、落ち込んだこともありましたが、「体重も食の好みも元通りに戻りました。もうひとふんばり、がんばらせてもらいます」。大阪生まれ、旭川育ちの粉もんたち。テキ屋のおっちゃん仕込みのおもてなしが、心に馴染みます。