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- ⓒ2019「影踏み」製作委員会
前回紹介した『ジェミニマン』のジェミニというのは双子座のことで、あの作品は自分のクローンと戦う話だった。奇しくも今回ご紹介する『影踏み』はそのものズバリ、双子を描いた物語だ。双子の中でも特に一卵性双生児というのは繋がりが強く、思考が似通ったり、互いのことがよくわかったりする、というような話を聞く。しかし一卵性双生児になったことのない私にはその感覚はよくわからない。
司法試験を目指すほどだった兄は不良気味だった双子の弟を失ってから泥棒になってしまう。そして泥棒稼業のある事件をきっかけに、入り組んだ人間関係の中に巻き込まれて行く。事件がいくつか起き、主人公がその真相を追う、というような展開になる。しかし。そこに「犯人は誰だ?」といったサスペンス的要素は薄い。物語はあくまで静かに流れ、双子という要素が各所で主張してくる。なぜこのような形で双子を描きたかったのか、その動機がよくわからない。事件を追うが謎解きミステリではなく、ヤクザは出てくるが任侠ものではなく、暴力は出てくるがバイオレンスアクションではない。その淡々とした物語を山崎まさよしが淡々と演じている。その朴訥な芝居だけが強く印象に残る。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
見終えてから何度も思い返して、いったいなんだったのか、と考えてみた。ストーリーはわかりにくいものではない。主人公の周囲で事件がいくつか起こり、それぞれ解決する。そこに不可解なことはなく、もちろん難解な映画でもない。しかし何度思い返してもわからない。なぜ双子という要素にこだわったのか。
この作品はミスリードを誘う演出になっていて、北村匠海が演じている人物は、実は映画冒頭ですでに死んでいる。彼が主人公の双子の弟で、弟は死んだときの姿のまま登場し、兄は年を取っている。この弟は実は兄の心のなかにだけ生きているのだ、ということが中盤で明らかになる。彼を途中まで実在しているかのように見せている点が演出的には面白い。
そして本作にはもう一組の双子が登場する。主人公の恋人にアプローチしてくる文房具屋の男とその兄だ。こちらの双子にも悲劇が襲いかかる。真面目に生きている弟とダメな兄貴。何を頑張っても兄にめちゃめちゃにされてしまう弟はついに限界に達し、兄を殺してしまう。双子の悲劇を二組描いている。どうやら二組とも一卵性双生児のようだ。一卵性双生児ならここに描かれているような心理に共感するのかもしれない。しかしそうでない私にはわからない。双子ってこういうものなのか、という距離感で見るしかない。
主人公の周辺におきる事件は闇を暴きながら犯人にたどり着いて解決する。しかしそこにカタルシスのようなものは一切ない。この事件がなぜ謎解きとしての魅力を放たないのだろうか。これも考えてみた。おそらく、「なぜ双子なのか」という疑問のほうが遥かに大きいからではないか。どうしてこんなにも双子を描きたかったのか。
ラストシーン、主人公が心中のわだかまりを克服したことによって、寄り添っていた弟は消えた。霊的なものだったのだとすればいわゆる「成仏した」という状態であろう。そして再び去来する疑問。「なぜこのような形で双子を描きたかったのか。」その大きな疑問を残して映画は幕となり、見終えてから悶々とそれを考え続けることになるのだった。