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これほどわかりやすいタイトルがあろうか。『スケアリーストーリーズ』。直訳すれば「怖い話」。さらに邦題のサブタイトルは「怖い本」である。怖そうだ。
物語を読むとき、その登場人物に自分を重ねてあたかもその人物になったかのような気分で物語の世界を楽しむことがあるだろう。それこそが物語の醍醐味であるとも言える。では実際に自分が主人公の物語が書かれたら…、というのが本作。
それだけ聞くとなんだかステキな話のようだけれど、なにしろスケアリーな本だからそれはもう大変だ。どんな物語になるかは選べない上、結末は全部「失踪」。いろいろな形で消されてしまう。単純に死んだのとも違う。ひたすら怖い思いをさせられた上で、この世ではないところへ連れ去られてしまうのだ。
本の空白のページに物語が書かれる。自分の友人が一人また一人と物語に書かれ、どこかに消えてしまう。次は自分だろうか。もういっそ一思いにやってくれと思いたくなる。
「この物語はフィクションです」という決まり文句があるけれど、そのフィクションの中の人物にとっては紛れもない現実だ。
今この原稿を書いている私も本の登場人物かもしれない。怖い話の本じゃないといいのだけれど…。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
いわくつきで幽霊屋敷と呼ばれている大きな洋館の廃屋。怖い話の舞台としていささか使い古されたモチーフなのに、それでもやはり怖い。主人公たちの一行はハロウィンの夜、その幽霊屋敷に忍び込む。もうこの時点でまったく共感できない。入らないだろう普通。怖いもの。周囲は真っ暗で闇夜にそびえ立つ大きな屋敷。いろいろないわくつき。なぜ「入ろうぜ」ってことになるのか。やめとけ、怖いぞ、帰ろうよ、と心の中で提案したけれど一行には届かない。わざわざ施錠されてるのを開けてまで入って行くのだ。ようこそ怖い話へ!
思えばなぜ人は怖い話を好むのだろう。国や人種を越えて怖い話、怪談の類はあるし、こうして外国の怖い話をわざわざ見に行き、怖い怖いと言いながら見る。怖すぎるもう見ていられない、と目を覆い、覆った指の隙間から見る。怖いもの見たさ。やめておけばいいのに古い屋敷に忍び込み、いわくつきの部屋を見つけ、そこにあった本を持ってきてしまう。
本作はその持ってきてしまった本に新たな物語がひとりでに書き足されていく、という形で、主人公の友人たちが一人ずつ書かれては消えていくという作りになっている。小さな怖い話をいくつもつなげて一つの大きな話になっているのだ。それぞれの話の怖さよりも、この本の存在が一番怖い。この本の秘密に気づいて元あった部屋に返しに行く。私などはそんなこと怖くてできそうにないと思うのに、この主人公は図書館にでも返しに行くかのように平然と自転車で乗り付ける。しかしそうやって返した本がその晩自室に戻っている。どうやって戻ってきたかはわからない。怖い。いっそ燃やそう。しかし燃えもしない。
本作はいわゆるホラー映画であり、ホラーとしての怖さを楽しむという側面がもちろんあり、その点でもなかなかよくできている。しかしそれ以上に、「物語を書く」ということに主軸を置いていて、物語を書くとはどういうことか、書かれるとはどういうことか、といったようなことを掘り下げている。そういう視点で見ていくと、真実を訴えようとして存在を消された少女と、その少女の呪いに書かれてこの世から消された人たち、少女の怒りを鎮めるべく真実の物語を書く主人公、という輪が、書くものと書かれるもののループを形成している。『インセプション』等とはまた違った形で創り出される世界の階層構造が見えてくる。
一見するとシンプルなホラー映画だが、噛めば噛むほど味わいのある名作だ。