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内容のー部もしくは全部が変更されてる可能性もありますので、あらかじめご了承ください。
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- 縁あって、昼間は旭川明成高校の臨時教員として教育現場に復職している誠さん。「受験以外で数学の知識が活きたのは、お店の棚をDIYしたときぐらいかな~」とにっこり。元バスガイドの佳子さんとの明るい会話が今日も店内に響きます。
数学教師として旭川市内の私立高校で25年間教鞭を執った後、脱サラして妻の佳子さんと居酒屋を始めた誠さん。
教員生活に不満はありませんでしたが「何か新たな挑戦をしたい」と、居酒屋の開業を佳子さんに打診します。まったく畑違いだったこともあり反対は覚悟の上でしたが、返ってきたのは意外にも「いいじゃない、やろうよ!」の言葉。佳子さん自身も接客業を長年続けてきた経験を持ち「ずっと店をやってみたかったんだってさ。拍子抜けしたよ」と誠さんは振り返ります。
調理経験のなかった二人が、縁あって修業に赴いた先が「沖縄料理のできる人」だったこともあり、当初は沖縄料理中心の店として開店しました。しかし食材の入手が安定しないこともあって2年半ほどでリニューアルを決意します。新たに和食を勉強し直し、現在の一般的な居酒屋スタイルに落ち着きましたが「名残りで出しているゴーヤーチャンプルが、実はずっと一番人気なの」と佳子さんは笑います。
店のコンセプトや新メニューの開発など、どんなことでもあれこれ相談し合いながら、店を切り盛りしてきた二人。「ああしよう、こうしようって、いつでも言い合える仲だから続けられるんだ」と、互いを労らう姿が印象的でした。