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男系社会。世界的にそれを是正しようという動きはあり、わずかではあるものの前進はしている。しかし世界的にそういう動きがあるという事実が、もともと人の社会は国や人種を越えて男性優位で作られてきたことの証でもある。
描かれているのは、女性は会社組織で有能でもある程度以上昇進できず、結婚すれば夫の実家でも家政婦のように働かねばならず、結婚や出産で仕事を辞めねばならず、育児は一手に引き受けねばならず、家庭では教育も男子優先である、というような社会。
主人公のキム・ジヨンはそんな社会に歯向かわず、心の奥底では納得はしていないものの、受け入れて生きようとしてきた。そして精神に異常を来す。作品の冒頭から、今にもこぼれ落ちそうな状態で限界ギリギリのところで生きている彼女の姿に締め付けられる。一昔前までこれはどこにでもある光景だった。今は幾分改善されているとはいえ、まだ「もうこんなことはありません」と言えるような状況ではない。
もはや性別が男女の二つだけで良いはずもないという時代に、ここに描かれているような時代遅れの感覚を持ったままの人もまだまだ少なくない。制度の前に人々の意識を変える必要がある。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
ここに描かれているような、自分の母や祖母が憑依する、というような精神異常というものが実際にどの程度発症するのだろうか。この作品は社会批判として重要な題材を扱っているのだけれど、各所、リアリティを削ぐような要素があってそれがマイナスに働いている気がする。ジヨンが精神に異常を来すというのは当然の流れであろうと思うのだけれど、その異常はもっとリアリティのあるもので良かったのではないか。祖母や母が憑依するという症状は、言葉にされることのなかった祖母から母への肯定や、母から自分への肯定を言葉にして出したかったために用意された要素であるように見えてしまう。その作為は本当に必要だったのか、ということが気になった。
ともあれ、描かれている男系社会はおぞましい。この映画を見てジヨンに感情移入すれば、ここに描かれている「社会」がいかにいびつであるか誰の目にも明らかであろう。ところが、ひとたび自分の置かれた位置が変わってしまえば、それほど疑問に感じなくなってしまう。ここに描かれているおぞましい社会は今我々の周囲にもほとんど変わらない状態である。幾分改善されてはいるものの、根源的な部分が変わっていないから、この先の改善には時間がかかるだろう。
この作品は最終的にはハッピーエンドである。でもそれは、おそらくは作者がジヨンに幸せになってほしいあまりに作った、張りぼてのようなハッピーエンドでしかない。ラストシーンでは晴れやかな顔で仕事をするジヨンと、保育園に子どもを迎えに行く彼女の夫の姿が描かれる。夫は育児休業を取得したのであろう。しかし作中では、男性の育児休業は出世の道を失うことを意味していた。その先の未来でこの家庭になんのわだかまりも生じないのだろうか、本当に。きっとそんなことはない。男系社会が何一つ改善されない状況下で育児休業を取得するという決断をした夫。次はこの夫にしわ寄せがいく番で、数年後にこの家庭に訪れるであろう試練を思うと、まったくハッピーエンドではない。
かように、この男系社会の問題は根が深い。もっと根本的な部分からの改善を図らない限り、一か所に集まっていたしわを分散させたことにしかなっておらず、相変わらず問題は残っている。この作品が訴えかけようとしていた問題意識が、変にハッピーエンドにして晴れやかなジヨンの笑顔で作品を閉じてしまったことでうやむやになったような気がする。