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- ⓒ佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会
極道に身を置き、多くの時間を収監されて過ごしてきた元受刑者。刑期を終えて出所してきた彼を待ち受けるのは、きわめて不寛容な社会だった。
近年、社会の不寛容は年々その度合いを増し、どんどん異物を許容できなくなってきている。異物を許容できなくなれば対外的な耐性が下がり、脆弱化してやがて死に至る。生命体でも社会でもそうであろう。本作は30年あまり前の小説を原案に、より不寛容になった社会へ違和を唱える。
法治国家において法は重要なものだ。法を破れば罰せられる。しかし、裁判によって定められた刑期を終えて出所すれば、法的には社会復帰できてしかるべきだ。でも実際はどうかと言えば、ここに描かれているような事態は容易に想像できる。
法は都合の良い解釈しかされない。法に触れない悪意は無いものとされる。どんな人間かよりも、かつてどうであったかが重視される。
なにが本当の悪なのだろう。この作品を見てどこに嫌悪を感じるだろうか。その嫌悪の根源はいったいどうなっただろうか。わたしたちは無自覚なままインチキな偽善を振り回し、その嫌悪の根源に加担してはいないだろうか。
社会の闇をえぐる一振りの刃のような映画だ。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
ざらっとしている。映画の後味の話だ。見終えたときに去来するやり場のないざらつき。これこそが映画だと思うような映画。メッセージを伝えるのではない。考えることを促す。そういう映画である。
主人公は13年の刑期を終えて出所した元極道の男。前科10犯。直近の13年は殺人罪による懲役である。
この主人公は悪人か。もちろん殺人を犯しているのだから悪人であろう。劇中でその裁判の様子も描かれる。彼は悪人か。日本刀を持って殴り込んできて妻に言いがかりをつける男。それを返り討ちにした主人公。なにも殺さなくてもよかった。その通りだ。しかし酌量の余地はなかったか。それに、彼は判決を受け、懲役し、刑期を終えて出所した。出所してきた彼は悪人か。
もちろん殺人犯は悪人であろう。断じて許すことなどできない。感情論としてはそうだ。だが法治国家として、法に準じて服役を終えた人は、前科はあれど社会復帰を許されているはずだ。それを社会は許容できるのだろうか。もっと言えばあなたは、さらにわたしは、許容できるのだろうか。
この作品を見ると複雑な気分になる。刑期を終えた彼に対して、世間は冷酷だ。彼はまっすぐな男で、曲がったことを許せない。善良そうな人が悪っぽいやつに絡まれている。彼は黙っていられず、絡まれている人を解放して絡んでいたやつをボコボコにする。傷害だ。彼は悪人か。
大切に思う友人がいじめられている。いじめた側にも言い分があり、一理あるがやり方はまずい。彼は怒りを抱えながらも我慢する。前科者や障害者を見下してバカにする連中に、大いに不本意ながら同調して見せる。彼は正しいことをしたのか。
同調圧力。見て見ぬふり。長いものに巻かれる。正しい暴力よりも間違った沈黙。現代社会に渦巻く暗部が見事に抉り出されている。いったいどうあるのが正しいのだろう。彼がどうなれば、わたしたちは満足がいくのだろう。
無自覚な多数派が自らも気付かないままに悪意ある偽善を振りかざし、社会の歪みを見て見ぬふりをする。やがて見て見ぬふりはふりではなく本当に見えなくなり、暗部から目をそらした大衆によって社会全体が空転する。
結論の出せないざらつきを残す作品で、本当に考えさせられる。一人でも多くの人に見てもらいたい。