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人を動かす力。組織の上に立つ人、チームを率いる人など、いわゆる管理者に求められるのは人を動かす力。言うとおりにしないと酷い目にあうぞ、という恐怖政治もその手法の一つではあるけれど、大体においてうまく行かない。やはり人が自主的に動くよう持っていくこと、それが人を思う方向へ動かす秘訣であろう。
本作の主人公アーヤは魔女の血を引く少女。生まれてすぐ孤児院のような施設に引き取られて育てられた彼女は魔法を教わったことがない。魔女の血を引いているはずの彼女にはいったいどんな魔力があり、どんな魔女になるのか、と思いながら見る。
序盤でクセの強そうな二人に引き取られるアーヤ。二人が夫婦なのかについては言及がないが、二人とも魔法使いのようだ。物語は主にこの里親になった二人とアーヤの暮らしを描いている。理不尽な状況にもまったくへこたれずに挑んでいくアーヤの姿に元気をもらう。アーヤは泣き言を言わない。常に打開策を見つけ、自分の「位置」を作る。
82分という短さで拍子抜けなほどあっけなく終わる本編。ステキなエンドロールを見ながら思い返してみれば、なるほど、アーヤの魔力は全編に満ちていたのだった。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
冒頭、ジブリファンにはおなじみの宮崎駿さんの愛車、シトロエン2CVの登場するカーチェイスが演じられる。2CVを振り切って逃走したオートバイの女は抱えていた赤ん坊を孤児院の前に置いて去る。赤ん坊の名前は「アヤツル」。これを見た孤児院の院長先生が、「アーヤ・ツール」という名前に変え、赤ん坊は「アーヤ」と呼ばれるようになる。
アーヤの本当の名はアヤツル。操るのである。人の心を。アーヤの魔力は魔法としては描かれていない。アーヤは魔女の血を引く子どもでありながら魔法を教わったことがないし、自らが魔女の娘であることも知らない。しかし二人組の魔法使いに引き取られ、なんとか自分も魔法を教えてもらおうとする。
結局、アーヤは魔法らしい魔法は教わらない。唯一、使い魔の猫と協力して自分の身に「魔法から身を護る」魔法を見様見真似でかけるだけだ。そして本編はあっけないラストシーンを迎える。エンドロールが始まったとき、多くの観客は「え?ここで終わり?」と思うのではないだろうか。まだまだ何も始まっていない、という気がする。プロローグだけで終わってしまったような、そんな印象さえ受ける。
エンドロールはとてもステキだ。全編CGを用いた映像だった本作、エンドロールは手描きのイラストになっていて、これがとても良い。後日談のようなシーンがあたたかい絵で見られる。それを見ながら考えるのだ。この映画はいったいなんだったのか、と。するとほどなく、なるほどと思う。アーヤはアヤツル。思えば孤児院の頃から、アーヤは操っていたのだ。周囲の人々を。ほとんど無意識に相手の人物像をキャッチし、その人に合わせた言葉や態度でそれぞれの人を導く。自分の思い通りに動かすべく、導いているのだ。里親たちは当初アーヤの思い通りにはならない。しかしアーヤは諦めないしくじけない。日々の暮らしの中で相手を見極め、相手に合わせて行動する。誰もが、いつの間にかアーヤの術中にある。アーヤの魔法は最初から作品全体を支配していたのだ。
この作品には派手さはない。ストーリーに大きな起伏もなければ、ものすごい絵が見られるわけでもない。しかしクセの強い魔法使いたちが登場し、魅力あふれるアーヤがいる。アーヤの生き方は勇気をくれる。逆境を好転させるヒントをくれる。アーヤの魔法は、もしかしたら少し、真似できるかもしれない。