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- ⓒ2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 ⓒ円谷プロ
シン。新であり、真であるウルトラマン。「カイジュウ」や「カトクタイ」といった用語を音はそのままに文字を変えて使っている。冒頭からそのカトクタイの設置からの経緯を速いカット展開でテンポよく見せるおなじみの演出がされる。この冒頭から本編のエピソードも含め、隅々まで旧来の作品を知っているほど楽しめる要素が満載されているので、旧作を知らないといまいち楽しめない部分はあるかもしれない。
ゴジラもそうだったのだが、本作においてもウルトラマンという作品が持っている魅力をスポイルすることなく、同時に完全な空想おとぎ話ではなく、現実と地続きのものとして感じられるようなリアリティが追求されている。本作を見て、リアリティというのは主に理由付けなのだと感じた。カイジュウが現れること、ウルトラマンが飛来したこと、外星人が地球を欲すること、それぞれに理由がある。またカイジュウが暴れ、ウルトラマンが跋扈する日本は地球上の一国家であり、国際社会があり、内政もある。それぞれに思惑があり、その行動には理由がある。なるほど、理由付けを行うことで空想の世界は現実と地続きのものとなる。
これは紛れもなく、僕らの見たかったウルトラマンだ。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
冒頭から『ウルトラQ』のネタを満載した映像がすごい勢いで流れる。ほとんど画面を追いきれないテンポでのカットワークだが、一つ一つの映像はしっかり作られている。『ウルトラQ』を知らないと分からないネタばかりだが、この部分は言わば「カトクタイ」の成り立ちを説明した部分なので、ネタが分からなくても本筋に影響はない。ただ、本編の方については、やはり旧作の初代ウルトラマンをある程度知らないとわからないことが多いと思う。
ウルトラマンが飛来する目的は新たに作られているが、飛来した際の事故によりカトクタイの隊員を死なせてしまい、それをきっかけに彼と融合する、という流れは踏襲されている。
本編はネロンガとの戦いの後ガボラとの戦いを描き、ガボラ戦のあとすぐ、隊員の一人がウルトラマンであることがバレる。この展開は少々驚きがあったが、思えばバレない方が不自然なのであり、リアリティを追うとこうなるということなのだろう。
物語はこの後ザラブ星人、メフィラス星人が登場する。この辺の宇宙人も初代ウルトラマンのエピソードを知っているほど楽しめる演出がされている。いずれも印象的な宇宙人だったが、そのキャラクタ性を活かした演出がされている。
本作最高の衝撃は最後のエピソードで訪れるのだが、これは本来の話を知らないと驚きが薄いかもしれない。
ウルトラマン最後の敵と言えば「ゼットン」。ゼットンはアルファベットの最後であるZ(ゼット)と五十音の最後である「ン」を連結した名前で、最後の敵という意味だ。そのゼットンが、文字通り最終兵器として送り込まれる。驚くべき人物の手によって。
この展開は意外性が高く、衝撃だった。しかしよく考えてみると、彼や、彼の所属している組織が地球を外星人から守る義理はなく、この部分は旧来のウルトラマンでは曖昧だ。極めて都合の良い設定と言えなくもない。本作ではそこにリアリティを持たせてある。本作において知的生命体が地球を欲するのは「地球人は兵器へと転用できる価値があるから」という理由により、良からぬことを企てる者の手に渡ることを懸念するのであれば、その知的生命体と闘うのではなく、取られる前に地球人を滅ぼしてしまえば良い。この方が宇宙の平和のためには理にかなっている。そして「彼」はそのような行動原理に基づき、ゼットンを放つ。
これは衝撃の展開だ。旧来のゼットンはゼットン星人が持ち込んだ宇宙恐竜であったが、本作のゼットンは宇宙の平和を守る組織が持ち込んだ最終兵器なのだ。宇宙の平和のために地球を滅ぼす。
旧作でもウルトラマンが勝てなかったゼットンはカトクタイと人類の英知によって倒した。本作でもそのテーマを踏襲した展開になっている。
あらゆる点において、この作品はウルトラマンの根底に流れていたテーマを汲み取っており、それをよりリアリティを伴った形で映像化してあるのだ。そしてそれゆえに、ウルトラマンを愛してきた者にとって、もっとも見たいウルトラマンたり得たのである。