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- ⓒ2022「はい、泳げません」製作委員会
幼少期のトラウマにより、泳げないまま大人になってしまった主人公。本作は彼が一念発起、スイミングスクールに通うという話で、序盤はコメディタッチで進む。主人公は大学で哲学を教えている先生で、ものの考え方に特徴があって面白い。そこに初心者コースで一緒になるおばちゃん連がカラッとした笑いを添えている。ところが物語が進むにつれて様子が変わってくる。主人公のトラウマは実は幼少期に起因するものではなく、5年前の大きなエピソードが原因になっている。彼の生活が明らかになるにつれ、次第に笑ってばかりもいられない雰囲気になる。
ただならぬ情熱をもって指導してくれるスイミングスクールのインストラクターを綾瀬はるかが好演している。とてもまっすぐな想いで指導にあたる彼女もまたトラウマを抱えている。そんな彼女が泳ぐためのポイントとして教えてくれる言葉はプールの外でもいろいろな局面でも役立ちそうなものだ。浮かび方、息継ぎの仕方、水のかき方。この映画を見ると明日からの毎日が少し違ってくるかもしれない。
「泳ぐことは生きることと似ているけれど少し違う」と彼女は言う。少し、違う。でも少ししか、違わないのかもしれない。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
クセのある主人公が登場し、四十代になって一念発起、水泳を習い始める。序盤は彼の異質さが笑いを誘うコメディである。初心者コースで一緒になる面々は年配のおばちゃんたちで、四十代の主人公は一番若い。おばちゃんたちの会話は適度な下世話さを帯びていておかしく、軽やかな笑いを提供してくれる。この序盤では、主人公は大学で哲学を教えている先生だ、という情報しか与えられず、哲学の先生として想像できそうな異質さを備えた彼の人物像が面白さになっている。ところが、次第に彼の身上が明らかになるにつれ、コメディが影を潜め始める。どうやらここからがこの映画の本当の姿だ。
主人公が離婚したらしいと判明した辺りから、次第に彼の身に起こったことが明らかになり始める。それは想像を超えて重大な事態で、彼の負った心の傷が非常に大きいことがわかってくる。このあたりからもう笑えなくなってくる。笑いの要素が減ってくるというのもあるが、彼の背負った傷を思うともうどんなしぐさの一つも笑うことなどできない。彼が一念発起してスイミングスクールの扉を叩いたことも、そのシーンでは受付でのやり取りで笑いもしたのに、この過去を知ったら笑ったことを恥じたい気持ちにさえなる。
苦手なことを克服したい。誰しもそう思う瞬間があるのではなかろうか。いくつになっても、克服したいなにかはきっとある。泳げない人が泳げるようになる、というのはその「克服」を象徴している。苦手を克服すると、極端に言えば世界が変わる。泳げなかった人が泳げるようになると、きっと世界の見え方が変わってくる。それは明日からの人生が違うものになるという意味ですらある。
劇中、学生から「人はなぜ生きるのか」という質問を受けた主人公は、その学生にそれを考えることを課題として与える。人はなぜ生きるのか。それは哲学の歴史的命題の一つであろう。水泳のインストラクターは言う。「泳ごうとしないでください」。泳ぐのではない。泳いじゃっている。人はなぜ生きるのか。生きるのではない。生きちゃっている。今日も生きちゃいましょう。