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- ⓒ柊あおい/集英社 ⓒ2022「耳をすませば」製作委員会
スタジオ・ジブリのアニメ映画として有名な『耳をすませば』。本作はその十年後を描く実写映画だが、けっこう根幹の設定を変更してあるので直接の続編ではない。また、十年後の話ではあるものの随所に回想シーンを挟み、十年前にどんなことがあったのかを見せてくれるため、これ一本をいきなり見ても全く差し支えない。むしろアニメ版とは設定が異なるので知らない方が入りやすいかもしれない。
中学生の頃に知り合った二人が想いを通わせ、それぞれの夢を追うために遠く離れて暮らす。そんな時間が十年も流れ、社会にも出て夢だ恋だといったものたちは次第に色あせて行く。くじけたり迷ったり焦ったり苛立ったり。日々の中で信じるものや大切なものが見えなくなってしまう。そんなときは心の声に耳を傾けよう。自分の心はいったいなんと言っているのだろうか。
大人になっていくこと。年をとっていくこと。それは生きていくということ。時折心の声に耳をすませると、大事なものを見失わずに済むのかもしれない。
エンドロールは本編とリンクしながらアニメ版を思い出させるオマージュにもなっているのでぜひ最後まで楽しんで欲しい。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
あの二人のその後。それを映画にするというのはいくつかの意味で大きな挑戦だったろうと思う。賛否が分かれることは避けられないだろうし、なにより、視聴者にゆだねられていた二人のその後を固定してしまうことになる。美しい青春を駆けた無垢な二人は否応なく成長させられ、大人として社会のしがらみに絡めとられていく。それはある意味でキャラクタを生かし成長させるけれど、別の意味で死なせてしまうことにもなる。誰もそこに留まっていることはできない青春。後日談によって彼らもまた青春から引きずり出されてしまう。
本作は日本とイタリアに分かれて暮らす二人のその後を描いている。十年後を舞台にしながら回想を挟み、夢のような青春物語だった二人の世界を無慈悲な現実にする。実写になっていることも相まって痛いほどリアリティがある。幻想が姿を消し、泥臭い日常が浮き彫りになる。一方でそんな現実の中にあって二人の間に通う思いは純粋でまっすぐだ。少々無理があるほどに。
十年という月日を経たにしては作品に描かれた時間範囲の中で今さらなことがいくつも起こり、急に揺れすぎではないかという気もする。だって十年も経っているのでしょ、と思うような展開だ。映画の尺の中でハッピーエンドを迎えるために一度谷に落とす必要があるのはわかるのだが、十年後という設定によっていささか無理が生じているような気もする。ラストはもうネタバレ云々を抜きにしてもハッピーエンドにする以外無いわけで、大方の予想通り二人が結ばれて終わる。が、この作品、作中時間が古く、ラストシーンの時点でも1998年である。本作のエンドロールから四半世紀近くが過ぎている現在、二人はどんなふうに暮らしているのだろうか。どんな夢を、追いかけているのだろうか。