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孤独を愛する女性博士がいわゆるランプの魔人と出会う話で、それだけ聞くと突拍子もない非現実的な話かと思うけれど、不思議と「現実」を感じる作品だ。
「物語」の研究者である主人公のもとに三千年にわたって人々を見てきた魔人が現れ、語るいくつかの「物語」。語られるのはいくつかの女たちの物語。神話や虚構と現実の境界が溶け合い、女たちを通じて現代を生きる主人公へと流れ込んでいく。時代とともに移り変わる女性を取り巻く環境と、時代が変わっても変わらずにある女性的なるもの。それらが夫と別れて一人で暮らしている熟年の女性である主人公へとつながっていく。なんの不足もなく、願いもないと思っていた彼女は、魔人の話を聞くうちに自分の内側に秘められていた切望に気づく。
注目すべきは熟年の主人公を演じているティルダ・スウィントン。彼女は人ではないものを演じて魅力を発揮してきた俳優だが、今回は自身と年齢の近い人間を演じ、心の変化で老いて見えたり若く見えたりする「女」という表現をしている。彼女の持つ異質な美しさがこの作品の大きな魅力になっている。
何を願うのか。それを改めて考えるきっかけになりそうな映画である。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
原題は「Three Thousand Years of Longing」であり、これは邦題のサブタイトル「三千年の願い」にあたる。アラビアンナイトというワードは無いし、本編にも登場しない。確かに魔人が登場したり、彼の語る物語の中にアラビアンナイトを思わせる話は出てくるものの、本作は直接アラビアンナイトとは関係ない。あるとすれば「物語を語る」というまさにその部分がアラビアンナイトの概念と近いとは言えそうだ。
主人公は文学の研究者で、主に神話をはじめとした物語の研究をしている。物語はなぜ生まれ、どう必要だったのか。冒頭で彼女が講演しているシーンがあるのだが、そこで語られていることが意外と重要である。彼女は地に足の着いた、落ち着きを持った熟年の女性で、夫とは別れて暮らしているが、そのことにむしろ誇りを持っており、自ら「孤独を好む」と言い、自立した生活をしている。研究対象も物語でありながら、きわめて現実的な立ち位置で、空想の物語は科学の発展とともにその役割を終えつつある、という見解を示す。
しかし彼女はもともとイマジネーションの強い人で、非現実的な現象に出会うことも多い。その極めつけとして魔人と出会い、現実と非現実はその境界をあいまいにし、次第に溶け合って彼女にとっての「現実」となる。
この作品は一貫して「物語」をテーマにしているのだが、「物語を研究する主人公に対して魔人が語る物語が主人公自信の物語となる様子を描いた物語である」、という具合にメタ物語的な多層構造になっていて複雑だ。物語を外から研究する立場だった主人公が魔人によって語られる物語に共感するうち、その物語の続きの一節に自らも入っていってしまう。彼女は魔人の物語の一部となることを願い、言わば物語を外から見るという立場をやめる。
自分はどんな物語を生きているのか。どんな物語に参加しているのか。そして、何を願うのか。見終えて、振り返って、あれこれ考えることでどんどん魅力が増していく映画だと思う。