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ちょっと理解しがたい人に会ったことがあるかと聞かれたら、きっと皆さん度合いの差こそあれ、幾人か思い当たるのではないだろうか。でも他人のことなど、本来わからないほうが普通なのではないか。なぜその人がそんな風なのか、ちょっと知っただけでわかるはずがない。わかるはずがないのに、世の中ではなぜだかわかる方が普通だと思われていて、わかりにくい人は異常であるとされがちである。この作品はそういう事実を強烈に突きつけてくる。
主人公の日常から物語が始まり、少しずつ、パズルのピースが与えられる。しかし情報が増えるほど「わからなさ」が増していく。次第に揃っていくピースを並べて浮かび上がってくる悪夢。主人公の周りに現れる人物たち。主人公よりも理解できそうに見える人たちを私たちは本当に理解できているのか。作品の終盤に差し掛かるころ、もはや誰のことも理解などできないという気分になる。よく知っているはずの誰かのことも、本当は何一つわかっていないのではないかと思えてくる。
この作品はホラーではなく、サスペンスでもない。もっとずっと恐ろしく、地獄のような悪夢である。それでいて、現実とほとんど違わない。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
一言で言えば悪夢であり、率直な感想を述べるとすれば、生きているのが嫌になるような映画だった。
主人公のボーは少々変わった人物だ。知的障害があるか、もしくは何らかの精神疾患を抱えているような描き方がされている。彼はスラムに住んでいて、セラピーを受けているという日常が描かれる。何一つ情報がないところから断片的にわかることが増え、次第にボーという人物のことがわかってくるわけだが、彼を取り巻く環境がわかってくるほど、同時に疑問も増えるようになっている。実にうまくできていて、途中でかかわってくる人物も、自然で善良な人たちに見えながら次第に「もしかしたらそうでもないかもしれない」という印象になってくる。人の印象などというものはほとんどあてにならないと思い知らされる。
ボーの周囲に次々登場してくる人たちは、一見普通の人に見えながら全く異常であり、誰一人信用ならないし理解できない。その意味不明なふるまいに戸惑い怯えるボーは、いつのまにか観客である私たちが唯一理解できる人物になっている。この脚本は見事だと思う。ボーに異常なところなど一つもないのだが、しばらくこの物語に付き合い、様々な情報を得て初めてそれがわかる。一方、少ない情報で信頼できそうに見えた人たちの信用ならなさはまさに地獄だ。「いい人そう」という印象はいったいなんだったのか。
ボーの人生は悪夢そのものであり、我々は3時間に渡り、その悪夢を追体験する。終盤、もう生きていたくないとさえ思うに至り、はっとした。この作品が描いているのはボーという人物を取り巻く異常な世界などではなく、紛れもない現実世界なのである。影響力の大きいものが他を支配する。正しさではなく強さが正義であり、ボーのような人物はどんなに正直で悪意が無かろうと葬り去られる。この作品が地獄に感じられるのは、描かれている悪夢があまりにも現実に酷似しているからであろう。