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前作から二十四年。さらにひどいことになっているローマを舞台に繰り広げられるグラディエーターの物語。前作にも登場した皇帝の娘であるルシラは、前作の主人公だったマキシマス亡き後、皇帝の血を引く息子に危険が迫ることを恐れ、秘密裡に彼を逃がしていた。本作はその息子の物語である。本来高い身分にある人物が奴隷に堕ち、そこから剣闘士(グラディエーター)として自らの怒りとその肉体のみで這い上がっていくという物語の構造は前作を踏襲している。
歴然とある階級制度の中で、私利私欲にまみれた支配層が政治を占有しているような状況において、これを打開する方法は「支配層を根絶やしにする」という最も過激な手段以外にない。本作は前作以上にこの色が濃くなっており、主人公の悲しみに根差した怒りに共感し、虐げられた民の怒りを背負って権力を打倒する様にカタルシスを得る。腐りきった支配層の人物たちが一人また一人と凄惨な状況で命を落とし、世界は前に進む。
現実の閉塞感がこのようなエンターテイメント作品を生み、民衆がこれに共感を覚える。最後はもう暴力しかない。世界は今その一歩手前まで来ているのかもしれない。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
前作「グラディエーター」においては、皇帝であったコンモドゥスと主人公マキシマスの戦いが描かれた。コンモドゥスの姉であり、同じく先代皇帝の血を引いているルシラはかつてマキシマスと恋仲にあり、しかし身分の差からマキシマスと結婚はできず、父とともに共同皇帝であったルシウスと婚姻関係を結んだ。ルシラには息子がいて前作にも登場しており、コンモドゥスとマキシマスが刺し違えて二人とも死んだあと、皇帝の後継ぎ問題で殺されることを恐れたルシラによって逃がされた。
本作の主人公はこの逃がされた息子であるが、この子が実はマキシマスの子であったことが描かれる。いずれにしても母ルシラが先代皇帝の子なので彼はその孫にあたり、正当な皇位継承者である。身分を隠して逃がされていたことにより、彼はまったく別の名前で遠い地で暮らしていたのだが、そこをローマ軍が攻め滅ぼしたことで奴隷としてローマに戻ってくることになる。前作のマキシマスも政略に巻き込まれてすべてを奪われ、激しい怒りを胸に戦い、権力を打倒した。しかし時代はさらに酷いことになり、本作のローマは前作どころではなく悲惨な支配構造に呑まれている。本作ではこの腐りきった支配構造を打倒すべく主人公が活躍する。
極めて胸糞悪い人物が次々に登場し、悪行の限りを尽くす。民は悲鳴を上げ、支配層はやりたい放題。民衆の怒りは頂点に達し、主人公はそれを支えに無双する。本作はR15指定となっており、凄惨な暴力シーンが描かれる。猛獣に食われ、首や腕は飛び、そこら中血まみれになる。悪の限りを尽くした不愉快な人物が凄惨な死に方をし、それを見てカタルシスを得る。これはそういう映画なのだが、そこに幾許かの危うさを感じる。描かれている時代性もあり、政治を変えるには、政権にいる人間を殺すしかない。滅ぼして自分が収まる以外に、現状を変えるすべがない。力あるものが正義を成し、未来への希望を掴んで作品はエンドマークを迎えるのだが、力とはそのまま暴力であり、正義の名のもとに、悪なるものを惨殺していった結果なのである。
このようなエンターテイメント作品がヒットし共感を得る今、世界各地に閉塞感が降り、「もはや暴力しかない」というぎりぎりのところまで来ているのではないかという気がする。暴力はもっとも古典的手段であり、今もなお、最後の手段である。閉塞感がピークを迎え得た時、最後の手段が選ばれる。