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室町時代中期、応仁の乱の五年ほど前に京都で蜂起した寛正の土一揆の大将、蓮田兵衛を描いた時代小説の映画化である。時は室町時代中期、いわゆる長禄・寛正の飢饉と呼ばれる大飢饉が全国的に発生し、特に京都においては八万人を超える死者が出ていた。このような未曽有の事態にも関わらず、当時の将軍であった足利義政は状況を放置し、諸大名は財政難を何も考えない増税で乗り切ろうとする無策を続けていた。こうしたことがのちに発生する巨大な内戦、応仁の乱へとつながっていく。本作では兵衛が率いた大規模な一揆について描かれているが、これが戦乱の幕開けに過ぎなかったことは歴史が語っている。
本作は時代小説の映画化であり、多分にフィクションも盛り込まれているが概ね史実に基づいており、改めて見ると不気味なほどに、現在の情勢に酷似している。全国的な不景気と食料を含む物価の高騰に庶民の生活は悪化し、無策な政府は国民を無視した増税を繰り返し、国外へ金をばら撒いている。国民の不満は明らかに高まっており、まさに応仁の乱前夜の状態に近づいている。政府の無能が取り返しのつかない事態を招く。その前に政府が目を覚ますことを祈るばかりだ。(映画ライター・ケン坊)
ケン坊がさらに語る!WEB限定おまけコラム
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
歴史的大事件である「応仁の乱」そのものに比べ、そこにつながる流れとなった一連の一揆については取り上げられることが少ない印象がある。本作は寛正の土一揆を率いたとされている蓮田兵衛に注目して描いた歴史小説で、原作は2016年に発表されているのだが、不気味なほどに2025年の現在の情勢に肉薄しており、無策な政府が民衆の不満を放置して意味不明な対策を繰り返すとどうなるのかを予感させる。
歴史を学ぶことは現在から未来において過去と同じ過ちを繰り返さないことにつながるとよく言われるが、果たして岸田→石破と連なる現政権は歴史から何かを学んでいるのだろうか。時代が異なるため状況は大きく異なり、現在においてそこら中に餓死者が溢れるといった自体はほとんど起こり得ないが、疫病(感染症)の流行、改善の見られない不況、生活必需品を含めた物価の高騰、農作物の不作による米や野菜の暴騰など、今まさに我々を取り巻いている状況は現代の飢饉と呼んでも差し支えないだろう。このような状況下でありながら政府は国民を見ず、財源の確保と称して増税を繰り返し、挙句、確保した財源は当初言われていた目的ではなく海外への支援等で国外へばら撒かれている。国民の不満はどんどん蓄積し、目に見えて治安も悪化している。今から560年前、このような政治が民衆の蜂起を引き起こし、応仁の乱という巨大な内戦を発端として常時内戦を繰り返す戦国時代へと繋がっていったのである。僕らは今、戦乱の前夜にいるのかもしれない。この映画はそのような未来への不安を掻き立てる。歴史を学んだ我々は過ちを繰り返さずに済むのか。あるいは…。