
宇宙の果てで一人きり。『火星の人』の著者による日本でも大いに話題になった小説を原作とした映画である。人類の危機を救うべく宇宙の果てで孤軍奮闘するのはなぜか中学の先生。宇宙飛行士でもなんでもない彼がどうしてそんな状況に置かれているのか。物語は記憶を失った状態で宇宙船の中で目覚める主人公が、次第に過去の記憶を取り戻すという形式で描かれ、物語の全貌が現在と過去の同時進行によって少しずつ見えてくるような構造になっている。
地球のピンチを救うための情報を調べるために宇宙にやってきた彼は、同じ目的で同じ場所へ来ていた異星人と出会う。いわゆるファーストコンタクトである。この作品は訪れた地球のピンチに始まり、長距離航行や人工重力の実現、異星人との遭遇やその文化など、SF的センスオブワンダーに満ちている。物語の展開に少々ご都合主義的な部分も見受けられるものの、主演のライアン・ゴズリングの芝居や異星人との交流によって後味がとても良い。
ヒーローでもなんでもないいわゆる普通の人が地球を救うために奮闘する。もちろんSFとして面白い作品だが、主人公を通じて幸せの形についても考えさせられる作品である。(映画ライター・ケン坊)
この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。
宇宙の果てで孤軍奮闘する、という部分で『火星の人』と共通した部分もあるが、まったく違うアイデアによるSF作品である。ピンチを引き起こすアストロファージという微生物が、恒星間航行を可能にする燃料にもなる、というコア・アイデアが見事。終わりをもたらす微生物が最後の希望をつなぐのである。宇宙の果てで出会う異星人も、地球人とはまったく異なる進化を遂げてきたものとして描かれる。お互いの大気が相手にとって有害であり、防護設備を介してでないと接触できないという設定も見事だ。
こうしたSFとしての構造の見事さがある一方で、ストーリー展開の強引さが少々引っかかる。主人公は中学校の教師であり、地球を救うミッションで宇宙に飛ぶ人物としてはふさわしくない。そもそも一人きりで行くことなどあり得ないだろう。ではどうやってその状況を作り出すのか。この作品のストーリー的な核はそこにあるのだが、そこへ向かう道筋が少々強引に感じられる。恒星間航行には長い年月がかかるため、主人公たちはコールドスリープ状態で宇宙船に乗せられている。しかしなんらかの原因で、無事に目覚めたのは主人公一人であった。他の二人は昏睡中に死亡し、目覚めることがなかったのである。このパターンは『2001年宇宙の旅』を始め何度も使われているのだが、そう都合よく一人だけ生き残るのはどうなのかという疑問は残る。さらに、それ以上に気になるのが、主人公が選ばれる経緯である。もちろん彼よりもふさわしいはずの、ちゃんと訓練を受けた科学者が用意されていた。それもメインとバックアップの二名である。それを二人とも消すために、なんと実験中にビルごと爆破してしまう。しかもその原因は、1ナノグラムで実験するはずのものを間違って1ミリグラムで行った、というあり得ないほど杜撰なものであった。この展開に関しては見ていて声が出そうなほど驚いた。いくらなんでもひどいという印象を受ける。
かくして主人公は用意された状況に送り込まれるが、出会う異星人に関する設定にも少々無理がある。相対性理論や放射線に関する知識が無い、という設定になっているのだが、巨大な宇宙船を建造して現地へやってくるだけの科学力を持ちながら、放射線を知らないということがあり得るだろうか。さらに、地球人とはまったく異なる環境で暮らし、地球人にとって有害なものが彼らには有用だ、という設定であるにもかかわらず、放射線にだけは等しく弱い。放射線で悪影響を受けるのに星間飛行を行う際に浴びる放射線に関する知識をまったくもっていないというのも不自然に移る。しかしこれらの設定がないと、彼らが主人公の帰りの燃料を提供してくれるという設定も、出会う異星人が一人を残して全員死んでしまっている設定も成立しない。こうした、ストーリーを作者の持って行きたい方向へ進めるための要素が少々強引で、少々リアリティを損なっている印象を受ける。
SF的センスオブワンダーと、物語を動かすご都合主義に相関はなく、物語が強引でもSF的ワクワク感はそれほど損なわれない例と言えるかもしれないが、どこに面白さの重点を置くかで、評価が大きく分かれる作品かもしれない。