ギリシャ神話の世界を描いた古典叙事詩『オデュッセイア』。古典の中の古典であり、広く世界中に翻訳され、浸透している物語の一つであろう。トロイア戦争の英雄オデュッセウスが、その帰路で神の怒りに触れ、幾多の困難に見舞われる。一方彼の国では王の不在状態が限界に達し、国自体が大きな危機を迎えている。取り返しのつかない事態になる前に帰り着くことができるか、というお話。本作は原典から各所を翻案したり省略したりしつつ、全編を約3時間にまとめてある。言わば大河ドラマの総集編のような形だ。一本の映画としては長めだが、それでもエピソードは詰め込み感がある。

監督はこれまで多くの話題作を連発してきたクリストファー・ノーラン。その名に恥じないスケールの超大作であるが、問題はなぜ今『オデュッセイア』なのか、である。

ごく最近も別の作品で見かけたような主役級の俳優が大勢出ていて人物の印象が引っ張られがちだが、この作品は単なるエンターテイメントではない。今この古代の物語を問わねばならないことの意味を、僕らは改めて考える必要があるのかもしれない。

(映画ライター・ケン坊)

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この記事には映画のネタバレが少々含まれているので、まだ映画を見ていない人はその点をご承知おきの上で読んでください。

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言わずと知れた古典叙事詩『オデュッセイア』。ホメロスの作とされるこの物語が書かれたのは今から三千年近くも前とされている。本作はその全体を一本の映画にまとめたダイジェストだが、一部改変されていて、原典通りではない部分も見受けられる。

『オデュッセイア』が描いているのは端的に言えば「王の帰還」である。物語の現在位置は彼の息子テレマコスの時間軸である。本作でカリュプソの元に囚われているオデュッセウスは記憶を失っており、トロイア戦争以来の彼の道中は、次第に思い出される記憶の断片として挿入されていく。この辺は原典とは大きく異なり、逆に言うと本作で映画として問いたいのはおそらくこの改変されている部分であろうと想像できる。

オデュッセウスはトロイア戦争の英雄であるが、策略、言わばだまし討ちによってトロイアという国を滅ぼした張本人である。本作のオデュッセウスはそこに良心の呵責を感じ、その後の道中でも部下の多くを(最終的には全員を)犠牲にし、自分だけが生き残る。血塗られた自身を省みながら帰還するが、今度は王位を息子に継がせるため、復讐の鬼と化して国内の危険分子を皆殺しにする。

ラストシーンで、オデュッセウスは妻を伴って冥府へと贖罪の旅に出るわけだが、これは言わば自らの行いに「落とし前をつける」行為であると言える。因果応報ではあるが、英雄たるもの、それが外からもたらされるのを待つのではなく、自ら受け入れよということである。これはかの国を含む、世界の大国の元首たちに向けたメッセージなのかもしれない。